1. 稔彦 SIDE
まだ日の出ていない早朝、隣の部屋から唸り声が聞こえてきた。何故だか体が凄く重い。圧迫されて呼吸が出来なくなりそうだ。これが世に言う金縛りと言う奴なのだろうか?いや、だとしたら俺の顔にかかってくる息は何だ?ほんのりと香水の匂いがオプションについている金縛りなんて存在するのか?
俺は、目を開けた。
「あ〜、起きちゃった。」
言葉とは裏腹に嬉しそうな声。目の前には隣の部屋で寝ている筈の久留米 輝(クルメ アキラ)がいた。俺の腹の上に跨ってにっこりと笑いかけてくる。
「起きちゃった、じゃねぇよ!どけっ!!」
「え〜〜?」
やだぁ〜〜〜とか言っている輝を無理矢理どかし、俺は唸り声の聞こえてくる壁を叩いて怒鳴る。
「餌の時間はまだだろうが!」
「うぅぅ…。」
嫌そうな唸り声。ったく、どいつもこいつも!
俺は輝の首根っこを引っ掴んで部屋の外へと引きずり出す。勿論それを輝が快く受け入れる筈も無く、じたばたと暴れだしていう事を聞かない。
「出てけっつの!」
「やだ。着替えるんでしょ?僕の事は気にしないで、さぁさぁどうぞ。」
可愛い子ぶっているが、俺を見るその目が凄くハンターみたいでぞっとする。
「出てけ!この変態っ!!」
そういって輝をようやく部屋から押し出してドアを閉める。鍵をかけると、ドンドンとドアが叩かれた。
「酷いよぉ〜、僕は変態じゃなくてただ単にホモセクシャルなだけなんだってば。」
「だから嫌なんだよっ!!」
入居して早々、俺は輝に『結構タイプかも』なる発言をされた。制服に手をかけられた時はもうお終いだと思って目の前が真っ暗になったのを覚えている。
着替えを済ませ、部屋を出る。廊下では輝が体育座りをしていた。
「着替えちゃったの〜?残念だな。でも、稔彦の学ラン姿も萌えるね〜。」
笑いながら間合いを詰めようとする輝をするりとかわし、隣の部屋へと向かう。…ってか萌えって何だよ!萌えって!!意味わかんねぇ!
「ほら、飯の時間だぞ。」
カリカリと、ドアをひっかく音が中から聞こえてくる。俺は大きく溜息をついてそのドアを開けてやった。真っ暗な部屋の中から、同じく真っ黒な物体が出てくる。いや、正確に言うと真っ黒な毛布に包まった人間が、だ。
「ぐるる…。」
まるで犬のように唸るこいつは霧崎 弘樹(キリサキ ヒロキ)と言う名前で、有名な某会社の御曹司らしいが、何をどう考えたのか自分は犬なんだと言い出して、このように身も心も犬になりきって生活している。
「あー、はいはい。飯じゃなくて餌の時間な。」
「ぅわん!」
嬉しそうに吠えられる。俺は小さく溜息をついて階段を下りて行った。その後ろを2人分の足音が追う。弘樹は四つ這いで階段を下りるのだが、それって大変なんじゃないか?なんて入居当初は思っていたけど、そうでもないんだって事を知った。
「朝飯作ってるから、大人しく待ってろよ。」
そう言って4人分の朝飯を作り始める。言わなくても弘樹は大人しくしているんだが、輝が騒ぎ出すのだ。
「ご〜は〜ん〜〜!」
両の手をテーブルにバンバンと叩きつけてそう言ってくる。犬である弘樹だって大人しくしているってのに。
「お前は動物以下か!!」
怒鳴ると大人しくなるんだけれど、俺に怒鳴られた後の顔が恍惚としていて何だかもの凄く嫌だ。
サラダを作って、インスタントのコーンスープを作り、食パンをトースターで軽く焼く。と、チャイムが鳴って誰かの来訪を告げた。
「誰か、玄関のドアを開けてくれないか?」
俺は外から聞こえる低く響く声に負けない程の盛大な溜息をついた。
「輝、開けてやれよ。」
「はーい。」
輝がパタパタと足音をたてながら玄関に走っていく。これで4人全員がそろうんだが、今帰ってきた奴がこの家で最上級の変人だったりするのだ。
ガチャと玄関のドアを開ける音。それと同時に嬉しそうな輝の声が飛ぶ。ガタンと椅子のずれる音がしたから弘樹も玄関へと向かったんだろう。
「おかえりなさ〜いっ!!」
「あぁ、ただいま。元気にしてたか?」
「わん!わん!」
「弘樹も元気そうで何よりだよ。」
はぁ。これが平凡な一家団欒というものなのか?だとしたら随分と歪な形だ。普通とかけ離れた性癖を持つ大学生、自分を犬として認識している無職の成人、そして……。
「ただいま、稔彦。」
「…おかえり。」
背後から抱きつかれる。俺はさして抵抗もせずにそいつの動きを受け入れた。
まるで父親のように俺達に接する、ちょっと外国人っぽい整った顔立ちの男。一見すれば普通の社会人だが、その体から微かに漂う硝煙と血の混ざったような匂いがそいつの正体を浮き彫りにする。
この男、氷田 奨(ヒダ ススム)は、薬物・拳銃・人間・臓器など何でも取り扱い、世界を又にかける闇組織のリーダーだったりする。…世界は予想以上に狭い。
初めてそれを知った時には正直信じられなかったが、どうしても信じようとしなかった俺に、奨は痺れを切らせて銃を天井に向かって発砲した。その弾痕は今でも居間の天井に残っている。
「奨、ずるい!!」
輝がそう言って走り寄ると俺から奨を引き剥がし、ずいっと顔を近づけて俺を見る。
「何で奨は抱きつくの許してるの!?」
「下心が無いからだ。」
問いに即答してやると、輝は一瞬泣きそうな顔になったがすぐに笑った。
「じゃあ今は下心無いから、抱きついていい?」
笑顔でそう言ってくるから俺も笑顔で返してやる。
「却下。」
「え〜〜!」
大げさなブーイングをする輝を奨がまるで子供をあやすように頭を撫ぜる。
「ほら、早く席に着きなさい。稔彦が困ってるだろ?」
一音一音がはっきりとした重みのある声。たしなめるような音が入っていたのをきちんと理解したのだろう。輝は少し膨れっ面をしていたが渋々と自分の席に付いた。
奨もそんな輝を満足そうに見つめながら自分の席に着く。
「よし、できたぞ。」
パンが焼きあがり、それを皿に置くとテーブルへと運ぶ。そんな俺を見て輝が急いで立ち上がるとサラダを運び始めた。
「…ありがとな。」
感謝の言葉を口にするか否かを少し悩んだが、通り過ぎざまに言う。輝は呆気に取られたような顔をしていたが、嬉しそうに大きく頷いた。
そんな俺達を見て弘樹がすまなそうな顔をしている。手伝いたいのだろうが、生憎犬には手というものが存在しない。弘樹にとって両手は両前足であり、皿を持つ事など不可能なのだ。
「弘樹は気にしなくて良いよ。」
俺がそう言うと弘樹は益々すまなそうに顔を俯けたが、小さく頷いた。
「では私が弘樹の分も手伝うよ。」
スープをこぼさない様に気をつけながら運んでテーブルに置くと、奨がそう言って立ち上がった。俺はそれを目で制す。
「奨は仕事終わったばっかりで疲れてるんだからそんな事しなくて良い。」
「でも、」
「でもじゃない。」
奨は困ったような顔をしていたが、すまなそうに笑って再び席に着いた。
「あー!また二人でラブラブしてる〜〜!」
サラダを置きながら輝がまたブーイングをする。
「ラブラブって何だよ。」
軽い溜息をつきながらそう言うと、輝は急いで俺に近づいて抱きついた。
「そうやって目を合わせて話してる所とか、ラブラブじゃん。」
輝にしては珍しく、少ししおらしく訴えてくる。抱きついてきた時点で何かしら攻撃を加えようとしていたが、その声を聞いて止めておいた。
「輝。」
子供に言い聞かすような声で輝の名前を呼んで真正面から見つめる。
「話をする時に相手の目を見るのは当然だろ。少し落ち着け。」
「うん…」
まったく。……でもまぁ、俺も慣れたもんだ。こんな歪な人間関係が丁度いい日常になりつつあるんだから。
「ほら、飯だ。飯!」
そう言って席に着く。輝も大きく頷いて席に着いた。
「「「いただきます!!」」」
「わんっ!!」
そんな風に、日常が始まっていく。
食事が終わって、後片付け。奨は風呂に入ってて、弘樹は奨に無理矢理風呂に入れられている。
「どうにかならないかな…」
「何が?」
俺の呟きに、輝が問いかける。
「弘樹の風呂嫌い。」
「あー…。」
弘樹の風呂嫌いは本当に酷い。放っておけば3ヶ月くらい風呂に入らないから、頭はふけだらけで何だかすっぱい匂いがするって事もしばしば。だから奨が無理矢理1週間に一度弘樹を風呂に入れるのだ。
何故奨がその仕事をするのかというと…
「弘樹は全身全霊で嫌がるもんね。風呂。」
そう。大の大人が全身全霊すべての力を込めて抵抗する。それを抑えるのは、力のある奨にしかできない技なのだ。
「本当は1日に1回入ってほしいんだけどな。」
ガチャガチャと皿を洗う。洗い終わった茶碗を拭きながら輝が苦笑する。
「ま、無理だよ。家で飼ってたシロも風呂嫌いだったし。」
ふーん、やっぱり犬ってそういうもんなのか?…っても、俺の知ってる犬は秋田犬と柴犬程度だけどな。
「シロって品種なんなんだ?」
「え?ホルスタインだけど?」
ホルスタイン?知らない品種だな。外国産なのか?
「どんな感じなんだ?」
コップを洗いながら問いかけると、輝は楽しそうに笑ってこう告げた。
「白黒のぶちなんだけど、知らない?」
ぶちの犬にシロってネーミングはどうかと思うが、世の中には猫に犬って名前をつける人もいるらしいし、あまり突っ込みはいれないでおこう。
「ぶちねぇ…」
生憎、そんな特徴言われてもよくわからない。茶碗を洗い終わって腕まくりを直しながら輝を見る。
「よくわかんねぇな。」
「うーんと、正確に言うと乳牛?」
「ふーん。」
乳牛って事は牛か。道理でそんなマニアックなの知らない訳…って、おい!!
「それって犬じゃないだろ!」
「え?別に僕、シロが犬だなんて一言も言ってないし。」
満面の笑みでそう言ってくる輝。口の端がぴくぴく痙攣して、今すぐでも爆笑したいんだろうって言うのがよくわかる。
「俺が勘違いしてるのをわかって話を進めてたな…この野郎!」
「え〜〜〜そんな事ないよ?ただ、牛を犬と勘違いしてる稔彦がすっごく可愛いなぁって思ってただけで、」
「結局、勘違いしてたのに気付いてたんだろうが!!」
きゃぁ怖い〜〜。…なんて、ふざけた感じで輝が自分の頬を両手で挟む。結構こういう所は好きだ。気を使わなくて良い、丁度良い関係。友人としては最適な奴なんだけどな。
「いやん。そんな見つめないで?」
「アホ。」
そう言い放ってソファに腰掛け、学校指定の学生鞄を持って中身を確認しながらニュースの占いを何気なく見る。たかが占い、されど占い。占いの結果って結構精神的な部分を左右させるんだ。
「あ、稔彦2位じゃん。」
食器を片付け終わった輝が後ろからそう言ってくる。
「輝は?」
「12位。」
「ふーん。」
鞄を閉めて振り返ると輝がしょげていた。いくら使い捨ての占いとはいえ、最下位だと結構悲しくなるんだよなぁ。
ニュースが終わって、次の番組。そろそろ出なきゃいけない時間だ。
「輝も出る時間だろ?準備できてるのか?」
「うん。出来てるけど……」
どうやらさっきの占いがショックだったらしい。いじいじと壁に向かって指で『の』の字を書いている。
「ったく、ほら行くぞ!?」
いくら大学生とは言えど、きちんと授業…講義だっけ?…に出ないと大変な目に遭うんだぞ?
俺は輝の首根っこを引っつかんで、自分の鞄と輝の鞄を持って玄関へ向かう。同じ電車通学で、一緒に駅に行くようになってから輝の世話を焼くのは俺の役目みたいな感じになった。元々弟のいる俺にとって、何だか子供っぽさが抜けない輝は本当の弟みたいな感じだ。
……勿論、アイツに対しての感情はそれだけだけど。
「よし、行こうか?」
玄関を出ると、後ろに荷台のある自転車が一台ある。駅までの足は雨以外の日は自転車になっていて、いつも二人乗りをしている。……二人乗りは危険だから真似をしないように!
輝がきちんと自転車に乗ったことを確認して俺も後ろの荷台に乗る。
「では出発〜〜〜」
よいしょっという掛け声と共に自転車が動き出す。駅まで歩いて十五分の道のりは自転車のスピードではあっという間で、すぐに駅に着いた。
「鞄持つぞ?」
自転車を駐輪場に止めるのに邪魔そうだから鞄を持ってやる。輝はすまなそうに笑いながらも自転車を止めてすぐに俺の手から鞄を取った。
「気を使ってくれるなんて……愛されてるな、僕。」
「別に。気ぃ使ってないし。」
ぺしんと頭を叩いて足早に改札口を通る。朝っぱらの通学ラッシュの時間に、大声で何を言うんだこいつは…。ま、どうせ周りの人は俺達の会話なんか聞いてないし、聞いた所で普通にじゃれてるだけって思うだろうけど。
「あ、待ってよ!」
輝が俺の肩を掴んで自分の方へと引き寄せる。
「稔彦は恥ずかしがりやなんだからぁ☆」
何なんだその語尾についている☆と、俺の腰に回された腕はっ!!大声で怒鳴りそうになったのを無理矢理に抑えて腕を振り払う。
「ったく…いい加減にしろよ?」
言葉はいかにもふざけた感じで、でも顔は軽くキレた表情を浮かべながらそう言ってやる。輝は少し怯えた様な顔をして必死に頷いた。
ホームに着くと、丁度輝の乗る電車が来ていた。
「おい、早く!」
まだ階段をのんびりと上っている輝に声をかける。輝は走って階段を上り、小さく息を切りながら俺を見た。
「ね、今日って僕の運勢悪いでしょ?」
「だからなんだよ?早く乗れって!」
電車が出る時間はもうそろそろだ。軽く背を押すと、輝は振り返って悪戯っぽく笑った。
「稔彦は運勢が良かったから僕に少し頂戴?」
「げっ!」
言い終わるや否や、輝は公衆の面前で俺に抱きついたのだ。身長差と体格差でまるで包み込まれるように抱きしめられる。微かに周りがざわめくのがわかった。
「いい加減にしろ!」
思い切り胸を叩いて自分から輝を引き剥がす。輝は叩かれてむせていたものの、最上級の笑顔を浮かべていた。
「今日は良い事ありそうっ!」
嬉しそうに笑って輝は電車に乗り込んだ。その途端発車ベルがなって、ドアが閉まる。輝が窓越しに俺に手を振るのが見えて、電車が動き出した。
「この、馬鹿野郎……!」
後に残されたのは、怒りに震える俺と一部始終を見ていた人々のざわめき。俺はきつくこぶしを握り締めて行き場の無い怒りを抱えながら、とりあえず今日の運勢は最悪だと確信した。


(c)Kyouzaki