輝 SIDE
小さい頃から、僕が好きになるのはいつも可愛い女の子じゃなくて男の子だった。
それが異常だって気付いたのは大体小学校4〜6年生位だったと思う。皆の会話で浮いた話が出る度に、僕は自分が普通じゃないという事を実感していた。でも、だからといって人を好きになったりするのは止められない。
女の子は可愛いと思う。でも、可愛いと思うだけなのだ。僕にとって女の子に対する可愛いって気持ちは犬や猫を見て可愛いと思うのと同レベル。好きとかそういう気持ちになるのはいつも男の人だった。
中学、高校の事は余り良く覚えていない。思い出したくないと言った方が良いんだろう。…僕が皆と違うのだという事がバレてしまい、いつの間にか僕の居場所は無くなっていた。学校の友達が、先生が、僕を鋭い視線で痛めつける。挨拶を交わす人はいなくなって気が付けば独りになっていた。だから僕は誰かに必要としてくれる人を探して夜の街を出歩いた。
お金をくれるのは、僕にそれだけの価値があるから。僕を好きで居てくれるから。…毎日呪文のように頭の中をぐるぐる回っていた言葉。
こんな息子がいたら家族に迷惑がかかるからと、反対する両親を押し切って無理矢理上京して大学に入り、僕を知っている人なんて居ない場所でやり直そうと思ったけれど、時々思い出すあの記憶が、まるで悪夢のように僕を襲っていたから夜の街をうろつく事は止められなかった。
大学に行ってから人見知りで暗い性格の僕は形を潜め、誰からも好かれるような好青年を演じるようになった。男の人が好きなのを誤魔化す為に博愛主義的な言動も覚えた。常に表面を気にして、常に自分を偽って、そうやって過ごしてきた。
…でも今は違う。一緒に住んでいる皆はまるで家族に接するように僕に接してくれる。こんな性癖の僕に優しくしてくれる。だから嬉しくて嬉しくて、つい過剰なスキンシップをしてしまう。特に稔彦に対しては自分でも過剰すぎると自覚しているけれど、どうしても自分の弟や妹を思い出してしまって、かまいたくなってしまうんだ。
電車に乗る前に抱きついた事、きっと怒ってるんだろうな。でも、ふんわりと漂うシャンプーと稔彦の匂いや、抱きしめた体の感覚に凄く幸せな感じを覚えた。稔彦の傍に居ると、何だか傷が癒されていくようなそんな気がする。
これは、恋愛感情じゃないってわかってる。でも、やっぱり稔彦の反応が可愛くてしょうがないから、本当の事は当分言わないでおこう。
「…きら…、あきら…」
それにしても、今日も、稔彦は可愛かったな…
「輝!」
「え?」
まさか名前を呼ばれるとは思わなくて慌てて周囲を見回す。と、そこには北条先輩がいた。
「よぉ、おはよう。」
「あ、え、あっ……おはようございます…。」
同じサークルに所属している北条先輩は僕の憧れの存在で、他の人達からも憧れや羨望の眼差しで見られている。学力もあれば運動神経も良くって、人付き合いもうまい。そんな人を前にして僕は一気に緊張してしまった。
学校で博愛主義の好青年を気取っている僕ですら指先までカチンコチンになって緊張してしまう。
恐縮した僕に気付いたのか北条先輩は困ったように笑って僕の肩を軽く叩いた。
「そんなに緊張しないでいいからさ。な?」
柔らかい笑み。北条先輩は雰囲気が稔彦に似ているから、結構好きだったりする。…勿論、稔彦の方が可愛いけどね。
「はい。ありがとうございます。」
何だか今日は良い日になりそうだ!僕は密かに心の中でガッツポーズをした。…やっぱり稔彦に抱きついたのが良かったのかな?
「いつもこの電車に乗ってるのか?」
「はい。そうです。」
「本当に!?俺もずっとこの電車だったけど、全然気付かなかったな。」
僕もまさか先輩が同じ電車に乗っているなんて知らなかった。そうと知っていれば話しかけたりして、今頃はもう少し仲が良くなってるかもしれないのに。
悔しがっていると、まるで僕の心の中を読んだかのように先輩が殆ど同じ言葉を呟いていた。
「そうと知ってれば話しかけたりとかして、今頃はもっと仲良くなってたのになー。残念。」
言葉も出ず、ただ先輩の言葉に頷く僕。先輩はそんな僕を満足そうに見つめながら他愛の無い話を始めた。これからのサークルの活動とか、昨日のテレビ番組の話とか、先輩の好きな本の話とか……。
電車のアナウンスが次の停車駅を伝えて、ブレーキがかかる。ゆっくりと体が傾いて電車が止まった。
「降りるぞ。」
先輩が僕の背中を軽く叩いて電車から降りるように促す。どうやら僕は先輩と話せた事で有頂天になっていたらしく、今の駅がいつも降りる駅だという事に気付かなかったらしい。
「あ、はい。」
「結構とろいんだな。学校で見てる時はもっとツンツンしたイメージだったのに。」
笑いながら先輩が僕を見つめる。自他共に認める好青年を演じているつもりだったし、大体の人はそれで納得しているのにどうしてだろう?
「僕ってそんな感じに見えてるんですか?」
改札口を先に通ってしまった先輩の後を追うようにして問いかけると、先輩は苦笑して小さく頷いた。
「あぁ、そんな感じだな。誰も来るな!って感じ。」
今度から、気をつけよう。そう思っていると携帯が急に震えた。誰かからのメールか電話か…。とりあえず止まったからメールだろうな。僕はそう決め付けると先輩の隣に並んで歩き始めた。
「ごめんねヒカル君。ちゃんとバイト代出すから……」
僕の目の前で合掌して謝っているのは、バーの店長。40代とは思えない程の元気の良さと人のよさが売りで、このバーを盛り上げている。
ついでに言うと、ヒカルって言うのは僕の店の名前。本名を出して酷い目にあった経験が何度かあるから、お店ではヒカルと呼ばれている。
「いいですよ。僕、店長さんには凄くお世話になりましたし…。だから気にしないでください。」
朝に来ていたメールは店長からで、店員が急に熱を出したから代わりに出てくれないかというメールだった。バーの開店が丁度大学が終わった頃の時間と一緒だったのと店長への恩もあり、僕は快くOKを出した。
更衣室に入ると早速制服に着替えて髪をオールバックに整えると、鏡に映った僕の顔つきがキリッと変わった。店にいるときの顔だ…。
「もしかしてカウンターですか?」
問いかけながら更衣室から出てくると店長は大きく頷いた。
「勿論。そうじゃなきゃ呼ばないって。」
「初心者をカウンターに立たせて良いんですか?」
「だーれが初心者だ?」
カウンターに入り、冗談めかした声で店長に問いかける。店長も冗談めかした声で返した。
「僕ですよ?」
アイスピックを持って手に馴染ませる。どんな種類のお酒がどれくらい残っているかを確認していると、カウンター越しに僕の目の前に店長が立った。
「ブラッディマリー一つ。」
店長が真剣な声でそう僕に伝える。客の居ないバーに、店長の低い声が響く。
「わかりました。」
僕も真剣な声で答える。ピンと張り詰めた空気の中で店長所望のブラッディマリーを作る。トマトジュースを使うこのカクテルは昔から店長のお気に入りで、僕も何度と無く作らされた。
「どうぞ。」
僕の作ったカクテルを嬉しそうに受け取り、一口飲む。店長は暫く無言のままそれを飲んでいた。
「…相変わらず旨いよ。」
暫くの沈黙を破る店長の言葉に僕は小さく息をついた。店長の舌は完璧で、わずかな分量の違いすら見抜いてしまう。
「ありがとうございます。」
行き場を失くした僕を拾ってくれた店長。こんな性癖だと知っても、それ故に男と体を重ねたと知っても、冷たい言葉も罵声もかけなかった。
ただ、暖かく父のように僕の事を支えてくれた。…カクテルの作り方を教えてくれたのも彼だ。
「大学はどう?」
開店まであと20分ちょっと。店長はそれを確認してから僕に話しかける。
「順調ですよ。…でも、大学の人にはまだ誰にも教えていません。怖くて、何も言えなくなってしまう。」
目を伏せる僕の頭に、店長が触れる。まるで子供をあやすかのような手つきが、僕の心を揺り動かす。
「…ただ、僕は……男の人が好きなだけで……」
それ以外は何も変わりはしないのに。
言葉が出なくなって、鼻の奥がツンとした。目頭が熱くなって何かが込み上げてくる。それを必死に抑えようとするのに、店長が優しく頭を撫ぜるから涙が抑えられなくなりそうになる。
気持ち悪い、近づくな、汚い…!
「僕は、汚いんですか…?誰かを好きになる事が、そんなに、いけない事なんですか?」
駄目だ。店長の前になると僕は弱くなる。店長の優しさで溶かされてしまう。
「…ごめんなさい。顔洗ってきます。こんな状態じゃ接客できない。」
店長の手を振り払ってカウンターから出る。トイレに向かう僕の背に、店長が声をかけた。
「君は君のままで良いと思うよ?」
涙が溢れて、嗚咽が言葉と呼吸を乱す。暖かな優しさが与えられると、余計に自分の心の傷がうずく。
「っ……しっかり、しないと。」
気持ちを切り替える為に冷水で顔を洗う。鏡の向こうの僕は少し目を赤く充血させていたものの、それ以外は至って普通の顔だった。
『君は君のままで良いと思うよ?』
店長の優しすぎる声が、言葉が、僕の弱い部分をさらけ出して、それと同時に僕を支えてくれている。こんな僕に優しくしてくれる事、凄く嬉しいけど……。
でも、僕が貴方を好きだと言ったら、貴方もきっと僕から離れていってしまう。
僕は貴方が好きです。僕を助けてくれた貴方を、体を繋げる事だけが愛情表現では無いと教えてくれた貴方が好きです。明るい貴方が好きです。優しい貴方が好きです。暗かったり、愚痴ったりする時の貴方も好きです。たまに見せる少し自嘲的な笑みを浮かべる貴方も好きです。僕は貴方が、大好きです。大好きです。大好きで、大好きで…
…だから、言えない。
仕事をそつなくこなして、いつもの常連の人と他愛のない会話をして、気が付けばもうそろそろ終電の時間だ。
「店長、あがって良いですか?」
「勿論。ありがとうね。助かったよ。」
ニコニコと人の良い笑みを浮かべながら店長は帰る様に促しながら僕に封筒を渡す。さりげなく渡された封筒の厚みに驚いて店長を見つめると、店長はあって困るものじゃないんだからしまっておきなさい。と言って微笑んでくれた。
「えー、帰るのかよ!」
先程まで話していた常連さんがブーイングをする。僕は小さく合掌して常連さんに笑顔を向けた。
「ごめんなさい。家族が心配しているといけないんで。」
「ちぇー。また来いよ〜〜?」
拗ねたように口を尖らせて僕にそう言ってくる。僕は大きく頷くと服に着替える為に一旦店の奥へと入った。
服に着替える。髪をぐしゃぐしゃとかき乱してオールバックを崩し、鏡に向かって小さく笑顔を作った。作り笑顔じゃない上出来の笑顔を作る事が出来るのを確認して僕が店を出ると、窓越しに常連さんと店長が手を振っていたので振り返す。常連さんには悪いけど、僕の目には店長しか入ってなかった。
「結構遅くなっちゃったな…」
小さく呟く言葉はふざけている時の口調で、家に帰る為の練習みたいなもの。家で敬語を使ったら、きっと稔彦に病院送りにされてしまうに違いない。
とりあえず、帰るのが遅くなった言い訳を考えておかないと。『遅くなる。ごめんね(ノ△<。)』だけの内容もわからないメールを送った僕の事を心配しているだろうから。
とりあえず、きちんとメールを送っておこうと思い、作成。『今、若菜駅にいます。終電乗って帰るね〜(^^)ノシ』という内容のメールを送ると、携帯をパタンと閉じた。
夜を過ぎて漂い始める、深夜という纏わり付くような時間は気が滅入る。適当に金を持っていそうな男の人を狙って声をかけて、一時の温もりとお金を貰っていた高校生の時を思い出してしまうから。
あの時の僕は一体何を求めていたんだろう?生き延びる為の金だったのか、それとも僕を受け入れてくれる人の温かさだったのか。
……でもきっと今はもうそんな事関係ない。大切な家族がそこにいるから。大切な温もりがそこにあるから。
「お、輝らぁ〜〜」
随分と舌っ足らずの声が後ろからする。振り返ると、そこにはベロンベロンに酔っ払った北条先輩がいた。顔は赤く、足取りはしっかりしていない。
「先輩!どうしたんですかそんなに飲んで!?」
今にも倒れそうな先輩を支えると、先輩はろれつの回らない言葉で僕に説明してくれた。
「えーと、みんなと〜〜酒飲んでぇ〜、みんなが〜いなくなって〜〜」
置いていかれたか、はぐれたか…。多分置いていかれたんだろう。相当な酔っ払いは問題を起こす事が多いから大体の人は連れ歩くのを好まないで道端に放って置く。
バーの外にも、自力で歩く事の出来ない程の酔っ払いが捨てられている事が多々あった。
「先輩、家どこですか?」
「家〜?若菜駅の手前にあるぅ〜、マンション?」
最後に疑問符をつけると、先輩はぐったりとしてしまった。小さく溜息をつきながら先輩を引きずるように歩き出す。酔っ払いの扱いに慣れているとはいえ…大の大人を運ぶのは重労働だ。
駅へ向かう途中で僕の携帯が鳴った。その曲は稔彦からのメールの時になる曲だったので、きっと稔彦からメールが来たんだろう。多分内容は『わかった。早く帰って来い。怪我するなよ?』だろう。稔彦が必死に人差し指でメールを打っている姿を想像して僕は小さく声を出して笑った。
駅の近くに来ると、先輩は少し酔いが醒めてきたようで自分で歩くようになった。ろれつの回っていなかった口調もはっきりとし、顔色も普通に戻りつつある。
「先輩、大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。…迷惑かけてごめん。」
すっかり、いつも通りの先輩だ。
「あ、あそこのマンションが俺ん家。」
駅前のマンションは見上げる程の高さで、呆気に取られてしまう。
「やー、手間かけて悪かったな。」
「え?あ、大丈夫ですよ。」
微笑んで言葉を返すと、先輩も僕に微笑みかけた。
「今度遊びに来ると良いよ。歓迎するから。」
「ありがとうございます。」
「じゃ、約束な?」
喜んで、という言葉をかき消すように、男性の声が僕の声に重なった。
「随分と…懐かしい顔だな」
響くテノールの声に僕の体が震えた。嫌な予感が僕の背筋を走り抜けて脳を支配し、僕の体から自由を奪い去っていく。
「輝。」
路地裏からまるで闇から出てきたようにその人が現れた。体が強張って汗が噴出す。指の一本すら動かすことのできない…恐怖?畏怖?感覚が麻痺してそれが一体何なのかすら区別が付かなかった。
僕の変化に気付いたのか、先輩が怪訝な目で僕と彼を見た。
「どうかしたのか?」
「よかった。やっぱり輝だった。」
彼はまるで割れ物を扱うかのようにそっと僕の体を抱きしめた。体の芯が一気に冷える。同じ人間だというのに、稔彦を抱きしめた時と同様の温もりを感じられない。
「離してください」
震えた声でその人に声をかける。体はもう僕のいう事を聞かなくなって、力が抜けていく。
「離してください!」
渾身の力を振り絞って思い切り突き放すと、彼はいとも簡単に離れてくれた。僕は全身から力が抜けて、その場にへたり込んでしまう。そんな僕を蔑むように見据えて、彼は先輩へと歩み寄る。
「………」
先輩に彼が何かを囁きかけた。随分と長い間一方的に先輩に話している。その間、先輩の顔は青くなったり赤くなったりしている。彼が先輩に何を言うかなんて僕にはわかっていた。だから止めなければと思っていたのに、力の抜けた体は動かない。
「先輩…」
ただ、先輩の目が物凄く冷たい光を帯びて僕を見据えた。
「本当なのか?」
問いかけると言うよりは、問い詰めると言う表現が近いような吐き出されるような言葉に僕は身をすくめる。
彼が先輩に何を言ったかなんて聞かなくてもわかる。…僕の性癖を、先輩に教えたんだ。
「本当なのかよ!?」
叫ぶような先輩の怒声。僕はその声にビクリと体を震わせながら小さく頷くと先輩は小さく舌打ちして僕を一瞥してからマンションへと駆け込んだ。きっと、先輩はもう僕に声をかける事もなければ僕に微笑みかける事も無いだろう。
せっかく仲良くなったのに、せっかく親しくなれたのに、また遠のいていく。変えようの無いその事実が、ザックリと僕の心臓を貫いた。
走り去っていくその姿が、一瞬店長の姿に見えた。店長が僕の傍から遠のいていく。蔑んだ目で僕を見て、そしてもう二度と…。
「君に居場所は無いんだ。理解する人なんていない。」
彼がまだ座り込んでいる僕の事を優しく抱きしめた。彼の声は暖かく、優しい。
彼自身が怖いのではないと、僕は薄々気付いていた。
「…やめてください。」
僕が怖がっているのは彼ではなく、誰でも良いから温もりを求めて彷徨っていた頃の、あの自分だ。
「戻っておいで。」
彼の名は春日さん。僕の一番の居場所だった。優しかったしお金もくれたけれど、僕にとってはそれだけの人だった。
「誰も君を受け入れない。」
…別に、それは最初からわかっている事だ。いつも最終的に僕は独りになっていた。それが当たり前なんだ。ただ、いつも僕を愛してくれる人が傍にいたから、こんな僕を受け入れてくれる人が傍にいたから、それが見えなくなってしまっただけなんだ…。
誰も僕を受け入れてくれないのなら、この人以外に誰も僕を欲してくれないなら、僕に居場所が無いのなら、この人の元に戻るしかないんだろうか?
皆いつか僕の性癖を知って去っていくんだろう。どんなに仲が良くてもどんなに傍にいても、いつも結末は同じで軽蔑の視線にさらされる。今までずっとそうだった。だから、きっと、これからも……
仮初でもいい。何だって良い。温もりが欲しい。
「おい、輝。」
僕を呼ぶ声を聞いた途端、安心する暖かさが僕の体中に広がった。声のした方を急いで振り向くと、そこには稔彦と奨がいて、こっちを見ていた。
「稔彦…奨…」
不覚にも僕は泣きそうな声を出してしまう。
「ほら、何やってんだよ。」
稔彦に力強く腕を引っ張られて僕はその場から立ち上がった。そんな僕を彼が寂しそうな目で見つめる。その目は暗く、まるで昔の僕を見ているようだった。
「輝…」
居場所を失った者の目が、縋るように僕を見つめてくる。
僕もその痛みを知っている。僕も貴方の苦しみを知っている。でも、だからこそきちんと言わなければいけない。
「春日さん、僕は…僕は貴方の居場所になれません。」
僕の言葉に春日さんの体が傾いだ。それを奨がとっさに支えるけれど、春日さんは弱々しく奨さんの腕を振り払い、最後に僕の方を見て小さく笑った。
空虚な笑みだ。口の端を無理矢理吊り上げる笑み。その口が言葉を形作るように動く。
「さようなら。」
そう小さく言って踵を返し、彼は去っていった。そして残されたのは沈黙。
「……えっと…」
何て言ったら良いんだろう?二人とも僕の性癖を知っているけれど、さすがに昔の男と痴話げんかをしている所を見てしまっては退くだろう。僕は真っ直ぐに二人を見ることが出来なくて俯いた。
今まで言われてきた蔑んだ言葉を、もしも稔彦から言われてしまったら、奨から言われてしまったら。そう考えると怖くて何も言えなかった。
「輝、なにぼーっとしてるんだよ。行くぞ?」
ぐいっと僕の腕を引っ張って稔彦が歩き出す。驚いて目を白黒させていると、奨が小さく笑って僕を見た。
「怖がらなくて良いんだよ。私達は輝の家族で、輝の居場所なんだから。」
「稔彦、奨…」
どうしてそんな優しいんだよ…。泣きそうになる僕を苦笑しながら稔彦が頭を撫ぜる。
「そーゆー事だから。ほら、帰るぞ。」
「……うん。」
いつから僕は涙もろくなってしまったんだろう。お店でもあんなに泣いたと言うのに涙が溢れて止まらなかった。
家に帰ると、弘樹が嬉しそうに僕たちを出迎えた。弘樹がまだ涙が止まらない僕の傍に座って心配そうに見上げてくる。笑って、大丈夫だよって言って頭を撫ぜると心配そうな顔のまま僕に擦り寄ってきた。
稔彦がホットミルクティーを皆に淹れてくれた。それが僕の為だって言うのが痛いくらいにわかる。それを飲んでいると漸く心が落ち着いてきた。そんな僕を見て奨が穏やかな笑みを浮かべながら小さく頷いた。
でも、どうして稔彦と奨があんな時間にあんな所に居たんだろう?あそこはお世辞でも治安が良いところではないし、あると言ったら風俗店、バー、ラブホテルくらいのもの……って、まさか!?
「稔彦っ!!」
バンっとテーブルを叩いて椅子から立ち上がると、稔彦は驚いた様子で僕を見た。
「何で若菜駅にいたんだよっ!!」
「え?何でって、メール見てなかったのか?」
「メール?」
あ、そう言えば稔彦にメールを送った後、確かメールが来ていたような気がする。僕は椅子に座ってメールを開いた。そこには、『俺も今から帰る。奨も一緒だ。若菜駅を通ると思うから一緒に帰ろう。』というメール。
文面的には若菜駅付近にいたようではないけれど、あんな時間まで二人で何をしてたんだろうと思うと、気が滅入る。
「何で奨と一緒なんだよぉ〜〜」
不満げにそう言うと、奨がすまなそうに笑って僕に説明し始めた。
「仕事をね、手伝ってもらっていたんだよ。」
「奨の仕事を?」
奨の仕事って言ったら、人身・臓器売買、麻薬取引、売春、武器売買…。とにかく法に触れるものばっかりじゃないか!
非難するような目で見ると奨は手をひらひらと振って苦笑した。僕の言いたい事を大体理解したんだろう。
「手伝ってもらったのは法に触れない安全な仕事だよ。」
「孤児院の手伝いをしてたんだよ。料理したり、掃除したり、子供あやしたりな。で、買出しとか色々やってたらいつの間にか寝ちまって…で、こんな時間。ただそれだけだよ。」
稔彦が言葉を続ける。弘樹は奨の元へ行くと小さく一声吠えてから擦り寄った。弘樹なりの人に対する褒め方だ。
奨は孤児院出身で、そこで虐待を受けていたらしい。虐待がエスカレートして殺された友人も沢山いると、一緒に酒を飲んだ時に話してくれた。だからそんな事が無いようにと自分で孤児院を設立して、国際的な規模に発展させている。
「本当に…?」
上目遣いに問うと稔彦は強く頷いた。
「無信教だけど、神に誓って。」
それって意味無いんじゃ……。と思ったけど、言わないで置こう。稔彦も奨も嘘を付くような人じゃないから。
電話の受話器を持ち、番号を押す。話したい内容は全然決まってない。
『もしもし?』
電話が繋がる。久しぶりに聞く声に口元が緩む。
「もしもし、父さん?輝だけど…」
稔彦の事、奨の事、弘樹の事、店長の事、僕の事。すべてをさらけ出す勇気は無いけど、自分が今元気に暮らしている事を伝えよう。
そして、今、僕が幸せだという事も。


(c)Kyouzaki