稔彦 SIDE

 うららかな日差しも身を隠し、憂鬱な月曜日を明日に控えた日曜日の夜。奨はヨーロッパの人と取引があるとか言って出かけている。
 話しの内容は、この間の事件の事。弘樹が無鉄砲に犯人と戦って怪我をしたことについて、俺は朝から延々と説教をしていた。
「だから、まずは自分の事を最優先にしろよ。」
 …弘樹にも奨にも言える事だと思うけれど、他人を守るとかその前に自分を守るようにして欲しい。この間の事件の時だって、頭から血を流す弘樹を見てどれだけ寿命が縮んだと思っているんだ?
 奨が帰ってくる時間が少し遅くなるだけで何かあったんじゃないかと考えるこっちの身にもなってみろ。体に染み付いている硝煙の匂いや血の匂いを感じた時に背筋が凍るような感覚に陥るんだぞ?
「二人とも馬鹿だよな。」
 そう言って軽く睨みつけてやると、弘樹は小さく肩をすくめて俺と輝を見てから苦笑した。
「仕方ないだろう?馬鹿でもそれが私達の生き方なのだから。」
 そりゃ、弘樹にとってはそれが当たり前なんだろうけどさ、もし死んだらどうするんだよ?俺はこの生活に凄く満足してる。皆少しずつ人と違う生き方をしてるけど、それでも俺にとっては大切な家族なんだから。
「どうでもいいから、生きてくれ。二人がいなくなったら悲しいんだぞ…。」
 命を懸けるなんて馬鹿だ。遺された奴の気持ちはどうなるんだ?一生その傷を背負って生きていけって言うのか?そんなの、ただの自己満足じゃないか。大切なものを守ったって、それじゃあ意味が無い。
「私は良く理解したつもりだぞ?私のせいで皆を悲しませた。皆の顔を見た時に、守るだけじゃ駄目なんだと気付いた。」
 自慢げにそう言って弘樹が胸を張る。
「わかってるじゃないか。」
 そんな弘樹を、つい犬の頃と同じように頭をぐしゃぐしゃと撫ぜてしまう。はっとしてやめるが時すでに遅く、弘樹は複雑そうな表情を浮かべて俺を見つめていた。
「悪い。」
「いいんだ。…気にするな。」
 気にするなとは言っても、犬じゃない弘樹にとって犬として扱われるのは中々に屈辱的な事だろう。
「気にするな。」
 どうしても気にしてしまう俺に再びそう言うと、弘樹が俺の頭を同じようにぐしゃぐしゃと撫ぜてニヤリと笑った。
「これでおあいこだ。」
「そうだな。」
 互いに笑いあってそう言うと、俺と弘樹の間に輝が割り込んできた。
「駄目〜〜!稔彦は僕のなんだから僕の許可取ってから触ってよ。」
 ぐぃっと襟を引っ張られて一瞬むせる。しかしそんな俺にかまわず輝は俺の首にぎゅっと抱きついてきた。…殺す気か?こいつ。
「輝は相変わらず稔彦が好きなんだな。」
「うん!大好き♪」
 好きなら俺を殺さないように極力努力してくれ!!
 心の中でシャウトしていると、輝はぐいぐいと俺を抱きしめながら弘樹に視線を向けた。
「弘樹も好きだよ?」
「光栄だが、抱きつくのは止してくれないか?暑苦しい。」
 さらりと輝の熱視線をかわして弘樹が俺から目を逸らす。逃げたなこの野郎…。
「照れなくて良いよ☆」
「照れてなんか無い。」
「ほら照れてるぅ〜〜」
 …輝の方が上手だったか…。甘えるのは天下一品だからな、こいつ。
 そんな事を考えているうちに輝は俺からすっと離れて弘樹に抱きついた。弘樹は最初、輝をはがそうとしていたがすぐに諦めてされるがままになってしまう。
「離れろ。」
「嫌だ。だって僕、みんな大好きだから☆」
「暑苦しい。」
 弘樹がそう言って輝を抱えるとそのまま運んでポスンと二人がけのソファに落とす。最近気付いた事だけれど、弘樹は物凄い怪力だ。護身術として武術は大体習ったらしく、犬として生きていた間も基礎体力作りはかかさなかったとか…。
「俺も、鍛えようかな…」
「えぇっ!?」
 何気なく呟いた言葉に輝が過剰反応を示すと、そのままソファにうずまっていれば良いものを勢い良く起き上がって俺に走り寄ってきた。
「鍛えちゃ駄目!襲えなくなっちゃうから!!」
「三途の川渡らせるぞ、コラ。」
 今ならもれなく地獄行きだ。と付け足して右手で拳を作って睨む。輝は笑顔のまま固まってジリジリと俺から離れていった。
「ったく…」
 大きく溜息をつくと俯く。マグカップから立ち上るコーヒーの香ばしい匂いの湯気が顔に当たる。
 気分を変える為にコーヒーに口をつけようとすると、突然電話が鳴った。
 一瞬俺の脳裏を駆け抜けて行った嫌な予感。朝に感じた感覚と同じ予感…まさか、奨に何かあったんじゃないだろうか?俺は慌てて電話に駆け寄ると一回深呼吸をしてから受話器を取った。
「…もしもし?」
「もしもし!?稔彦さんですか?」
 電話の相手はジェイさんだった。いつもおっとりとしている感じの人なのに、こんなパニックに陥ったようなそんな声音…。俺は自分の予感が正しかった事を知る。
「奨さん、奨さんはそこにいますか!?」
「いませんけど、ジェイさんは奨と一緒じゃなかったんですか?」
 俺の答えにジェイさんは小さくそんな、と呟いて黙り込んでしまう。何も見えないこの状況が俺を押しつぶそうとする。
「何があったんですか?教えてください。」
 俺の声音に輝が心配そうにこっちを見てくる。弘樹も違和感に気付いたらしく俺をじっと見てくる。
「えっと…私は奨さんを送っただけですぐに組織の方へ戻ったんですけど、商談が終わる時間になっても連絡が無くって…私、私どうしたら良いか…っ」
 つまり、行方不明になったって事か?
 弘樹がソファから立ち上がって近づくと受話器を奪い取って電話を変わった。
「もしもし?弘樹だ。……そう、か。とりあえず組織の影響が出ないような人数で奨の行方を捜すように。私も探してみる。……大丈夫だ。お前は奨が認めた優秀な人間なんだ。できる。」
 会話の内容は大体理解できた。ジェイさんが今の状態、奨が行方不明になったことを説明して、それを聞いた弘樹が組織の人を使って奨を探すように弘樹がジェイさんに指示をした…と言った具合だろう。
「では、こちらも何か進展があったら電話する。そちらも何か進展があったら伝えて欲しい。…あぁ、それでは。」
 電話を切ると、弘樹はとても深刻な表情を浮かべて俺の目の前を素通りする。何をするのかと思っていると、棚においてあったモバイルパソコンを手にとって再びソファへと腰を下ろした。
 暫く、カタカタと言うキーを叩く音だけが聞こえる。その沈黙に耐え切れずに輝が俺達を見た。
「ねぇ、どうなってるの?何が起こってるの?」
「……奨が、消えた。」
 俺の言葉に輝が息を飲む。そしていつに無く深刻な顔つきになって椅子に座る。一体どうしたらいいかわからないんだ。きっと。
 ところで先程から弘樹は一体何をやっているんだ?気になって隣に腰掛けると、弘樹のパソコンには訳のわからない文字の羅列が綺麗に並んでいた。
「…何やってるんだ?」
「父が昔厄介になっていた、裏の世界に繋がる人とコンタクトを取ってみた。…あまり父の関係とは関わりたくは無かったが、今はそんな事を言っている余裕はなさそうだしな。」
 やっぱり弘樹も不安感じてたんだ。その上、今感じてるこの感覚が予感だけじゃないと確信している。
「暗号での会話だから時間はかかるが、確かな情報が得られる。……だから、心配するな。」
 隣でその様子を見つめていた俺の頭をくしゃくしゃと撫ぜて弘樹が微笑む。
「…わかった。」
 弘樹も、心配なんだ。俺と同じようにきっと不安に押しつぶされて苦しくて…それでも必死に現状を打開しようと頑張ってる。
「僕も、何かしないと…」
 輝と俺が互いに目を合わせて頷いた時、玄関のチャイムが鳴った。緊張して張り詰めた空間を切り裂くそのチャイムに俺達は体を強張らせた。
「…俺、でるよ。」
 不安そうな二人に笑顔で答えて玄関へと小走りで向かう。妙な緊張感を振り切るように勢い良くドアを開ける。と、突然外にいた人間が中に入って俺に覆いかぶさってきた。
「っ――!?」
「「稔彦!?」」
 血の匂いが鼻を付く。何が起こっているのかわからない俺の背後から弘樹と輝の声が聞こえた。
 体が強張ったまま動かない。すると俺にのしかかっていた体はずるずると滑り落ちていった。思わず抱き抱えると、覚えのあるコロンの匂いが血の匂いと混ざって僅かに香る。…この匂い…まさか?
「奨!!」
 顔を上向かせて確認すると俺にのしかかるその人は青白い顔をした奨だった。
「ひっ!」
 輝が小さく悲鳴を上げるのも無理はない。奨の体は血に塗れ、呼吸が浅くなっており、医療系の事は殆ど知識の無い俺にわかる程衰弱していた。
 そんな奨を見て弘樹が駆け寄ってくる。
「出血が多すぎる…とにかく、病院へ行こう。」
「あ、あぁ。」
 早くしないと命に関わる。それなのに、慌てて電話へ向かおうとする弘樹の動きが止まった。
「弘樹?どうしたんだよ?」
「……奨が」
 どうして奨の名前が出てくるんだと思って首を傾げるが、それはすぐにわかった。弘樹の腕を奨がしっかりと握っていたのだ。
「奨、とりあえず放せよ。言いたい事あるなら後でいくらでも聞いてやるから。」
 必死にそう言うが奨は辛そうに首を横に振って俺達を見つめる。
「ダメだ…銃弾が入ってる、からね…。君達に迷惑が…っ!」
「そんな事言ってる場合じゃないよぉっ!このままじゃ、このままじゃぁ」
 両目に涙を浮かべながら輝が奨に泣きつく。俺は奨の体を抱きしめた。
「輝、ジェイさんに連絡するんだ。きっとなんとかしてくれる。」
 俺の言葉に輝はこくこくと頷いて居間へと走る。どうやらこの言葉が気休めだと気付かなかったようだ。…よかった。奨の事だから、心配されたくないよな?
「奨…」
 弘樹は気付いているらしく、今にも泣きそうな顔で奨を見つめていた。
「私の部屋に、運んでくれないか?」
 弱々しい微かな声で奨がそう言う。小さく頷いて弘樹を見やると、弘樹も俺と同じように頷いた。
「っ…く」
 弘樹に抱えられ、体勢が変わった事で奨が苦しそうに声を出す。俺は弘樹の先を歩いて階段を上がると、奨の部屋のドアを開けた。ドアが閉まらないようにおさえていると弘樹が奨を抱きかかえてベッドへ向かう。ゆっくりとした動作でおろすと、そのまま奨の両手を握った。まるで祈ってるみたいな、そんな感じに見える。
 奨が危ない状況だって頭では理解している。それなのに、心のどこかではそれを必死に否定している俺がいた。
 ドタドタと階段を駆け上がる音がして、輝が部屋に走りこんでくる。
「ジェイさんに連絡取ったよ!すぐに来るって!」
 嬉々とした表情で輝が奨に駆け寄ってきた。その横顔を見つめると、何だか悲しそうな表情をしていた。
 そうだ。輝は子供っぽい仕草だけど、俺より年上なんだ。だからきっと奨が危ないって事もわかってて、その上でわざと明るく振舞ってるんだ。
「だから奨、安心してね?」
 弘樹は奨を探す為に嫌な父親の権限を使って、輝は一番泣き虫なくせに悲しさを押し殺して明るく振舞って、それで、俺は…?
「そうか。それなら大丈夫だね。」
 微笑むと奨が輝の頭に手を伸ばしてくしゃくしゃと撫ぜる。その手の動きすら辛そうに見える。
 でもそれは所詮全部気休め。このままじゃ、奨は――。
 奨が口を開いた。
「困ったな…。いつ死んでもいいと思っていたのに…それなのに、皆の顔を見てたら死にたくないと思ってしまったよ。……可笑しいね。死ぬ事なんて怖くなかった筈なのに。」
 今まで見た事のないような奨の表情に俺は息を飲んだ。今にも泣いてしまいそうな表情を浮かべて奨が首をめぐらせて俺達を見る。
「こんな怪我を負っても君達に一目あうまでは死にたくないと思った。必死に帰って、君達を見て、それで満足したはずなのに。…ダメなんだよ。死にたくないって思ってしまうんだ。もっと君達と話したい。もっと君達と暮らしたい。」
 まるで子供みたいだった。いつもの奨が見せる、強くて凛としている姿は何処にも見えない。
「死ぬ事は怖くないんだ。ただ、君達と会えなくなるのが怖い。今私が目を閉じたら、二度と見ることが出来なくなってしまうかもしれない。それが怖くて仕方が無いんだ。」
 奨が何で俺達にこんなに執着するのか、今の俺には少しだけ理解できる気がした。家族でもない赤の他人の俺達が演じる仮初の家族が、奨にとって、本当の家族なんだ。奨の居場所で、帰る場所で、いつまでも皆で一緒に居られたら良いとささやかに願う場所。それが、ここなんだ。
 奨の目から、一筋の涙が零れた。
「可笑しいよね。…幸せな生活なんて…人殺しの私が、望んではいけないというのに…」
「そんな事、誰が決めるんだ!?」
 穏やかな奨の言葉をさえぎるように弘樹が怒鳴る。日頃声を荒げない弘樹のその姿に俺と輝は目を丸くして見つめるしか出来なかった。
「奨はいつも人の為に憎まれ役を買って出て、自分から辛い道に走って…!そうやって頑張ってる奨が幸せになる事を許されない訳ないだろ!?」
 下を向いて叫ぶ弘樹。強く握られた拳は力が入りすぎて血管が軽く浮き出し、小さく震えている。
「ありがとう。…優しい子だね。」
 奨が腕を伸ばして弘樹を抱き寄せる。声を押し殺して泣いている弘樹の顔を隠すように頭を自分の肩口に押し付けている。
 このまま目の前の人が死んでいくのを、俺は見たくない。奨が思ってるのと同じで、俺だってもっと奨と一緒にいたいんだ。
「なぁ、奨と二人きりにさせてくれないか?」
 小さな決意と共に俺は口を開いた。二人が怪訝な顔をして俺を見てくるが、そんなのどうでもいい。俺は俺の出来る精一杯の事をしたい。このままみすみす奨を見殺しになんて出来ないんだ。
「頼む…。」
 二人はまだ悩んでいるようだった。もしかしたらこれが最期になってしまうかもしれないと思うと、この場を離れたくないんだろう。俺もその気持ちがわかってしまうから、これ以上は何も言えなかった。
「……二人とも、お願いできるかな?」
 この状況を打開したのは奨のその一声だった。二人の悲しそうな表情に奨が苦笑した。
「後でまた話せるから、いいだろう?」
 冗談交じりのその言葉に二人が沈黙の後に頷いて部屋から出て行く。
「ジェイさん来たら、ノックするから。」
「奨…次は私も話したい。」
 二人が別々にそう言って部屋から出て行く。ドアが閉まるのを確認すると俺は奨の額に手をやった。
「ごめん。奨も皆と話したかっただろ?」
「いいんだよ。何が話したいのかな?」
 そう言う奨の目が突然トロンとしたようになり、何回も緩慢な瞬きを繰り返す。
「あ…すまない……突然、眠気…が……」
 言葉をすべて言い終わる前に奨の目が完全に閉じられて、規則正しい寝息が聞こえ始めた。
「奨…俺、奨に死んで欲しくないから…」
 そして俺は目を閉じた。


奨SIDE

 私は、我儘だ。いつ死んだって構わないと言っておきながら、こんなにも生きる事に固執するなんて。…私が殺した人達だって死にたくないと思っていた筈なのに。彼らにも家族がいて、大切な人がいて、帰る場所があった。その筈なのに。
 余りにも穏やかな睡魔が襲ってくる。きっと目を閉じれば二度とこの世界に戻ってはこれないだろうと、そうわかっているのに目を閉じてしまう。
 あぁ、これが代償なのだ。
 別れたくない人と、別れなければならない。掛け替えの無い場所を失わなければならない。もう二度と、あの場所には戻れない。
 これが、人の命を喰らって生きた私への代償なのだ。
『それが答えなのか?』
 記憶に微かに残る父の声が私に問いかけてくる。
『私は、人を救いました。しかしそれよりも多い犠牲を出しました。…最初から理解していた事なのです。だから、後悔していません。』
 すらすらと、私の口から言葉が出る。かねてからずっと心の内に秘めていた言葉。それを聞いて父が眉間にしわを寄せる。…一体いつの間に姿が現れたのかすら、わからない。
『なら何故、こんな場所にいるんだ?』
『ここは…?』
 問われて、初めてこの場所について考えるがうまく頭が回転しない。
『何故、生に執着するんだ?』
 問いかけると同時に父の姿が掻き消える。あたりは真っ暗で何も見えない。自分の呼吸の音も聞こえない。胸の鼓動も聞こえない。腕も動かないと思ったら、指先も動かなかった。瞬きすら出来ない。
 これが、死なのか。意識が無くなれば私はこれと同化して消えてしまうのだ。そう思った瞬間、絶望が私を襲った。
『私は……』
 別に生に執着などしていない。いつ死んでも構わない。……そう思っていた筈なのに、何故?
『私は…』
 いつから、こんなにも脆くなってしまったのか。
『失いたくない。』
 目に見えない人の絆なんかに振り回されて、今まで築いてきた考えすら根こそぎ覆されて、それでも尚、私はそれを失いたくないと思う。
 私が唯一恐れるのは、私が唯一怯えるのは、それを失う事なのだ。
『死にたくない訳じゃない。ただ、彼らと別れるのが辛い。』
 それが、答えなのだ。
 図々しいとわかっている。我儘だと、そう罵られても仕方が無い。だが、私はまだ生きたい。皆と共に居たい。
『それが、答えか。』
 再び、父の声が響く。だらしの無い私の言葉に笑うことも無く、ただ淡々とそう呟いて私の手を握った。
『おいで。』
 私は戸惑った。突然戻った手の感覚もそうだが、彼が私を何処に導こうとしているのか見当もつかなかったから。
『どこに、行くんですか?』
『神のものは神へ、カエサルのものはカエサルへ。…お前はお前の行くべき所に行くんだ。』
 さぁ、歩け。そう言われると一気に体が重くなった。これが、私の体の重さ?動かそうとすると体がギシギシと呻きをあげる。こんな状態で一体何処へ行けというのか。問いかけようにも、父の姿は無い。
 必死に目を動かす。自分の呼吸の音、心臓の鼓動、筋肉がギシギシと軋む音。音が、聞こえる。何もないはずの世界に音が戻る。軋みは痛みへと変わり、体は徐々にその存在と重さを取り戻していく。
 ここは、何処だ?
 そう問いかけた瞬間、光が見えた。安っぽい蛍光灯の光だ。逆光で余り見えないが私を取り囲むように人影が見える。
 歩け。と、再び声が聞こえる。しかしそれは父の声ではなく私の声だった。どこか遠くで私が叫ぶ。とどまるな、歩け、と。
「…ぁ……」
 小さく声が出る。視界が漸くはっきりする。見覚えのある顔に囲まれて微笑むと、弘樹が勢いよく抱きついてきた。弘樹の頭越しに輝と稔彦とジェイと、そして組織に務めている医者の姿が見えた。
 …帰ってこれたのだと、ここに戻る事が許されたのだと思った途端に体が一気に痛んだ。かなりの痛みに眉をひそめるが、その痛みが、今の私にとっては断罪の証なのだと思う。
 失いたくないものを手にしてしまったのが私に対する罰。それは私の弱さとなり、弱点となり、そして私が信じて生きて来た道を当たり前のように覆していくだろう。彼らと共に過ごす事で後悔の念に苛まれるのが罰だとするのならば、私は甘んじてそれを受けよう。
 私はこの居場所をみすみす手放したりなどしない。例え後悔しようとも、自分が信じるがままに進むのみだ。
 どこか遠くで、とどまるな、歩き続けろ、という自分の叫ぶ声が聞こえた。









(c)Kyouzaki