4.稔彦SIDE

 すべてを曝け出す勇気のない俺は、逃げる事しかできなかった。


輝SIDE

 奨の体調はとても良い。あんな重傷を負いながらも、こんなに回復したんだからまさに奇跡的。…と言いたいんだけど、奇跡だけでは片付けられない部分がある。あの時、奨の体には腹部と胸部に刺し傷が三箇所、右ふくらはぎと左上腕付近を銃で撃たれていて、他にも打撲や擦り傷が体のあちこちにあったというのに、ジェイさんが医者を連れてきた時には、その殆どが癒えていた。
 どうしてかはわからないけれど、とにかく奨が助かった事に皆が安堵していたその時、稔彦が部屋を出ようとしていた。
『どうしたの?』
『…ほっとしたら血の匂いにやられた…』
 稔彦のいう通り、改めて部屋を見るとまるでスプラッタ映画のワンシーンのようで、むせるような血の匂いが立ち込めている。これじゃぁ具合を悪くしても仕方が無い。
『そっか。余り無理しないようにね?』
『ありがと。』
 弱々しく手を振って稔彦が部屋を出る。……それが、稔彦の最後の姿だった。


 今日も僕はバイトに向かう。いつもだったら軽快な筈の足取りは重い。稔彦の足取りが掴めていないからだ。奨の組織を使うという手もあるんだろうけど、逆に組織に関わる事で稔彦に災難が降りかかるケースの方が多いんじゃないかという事もあって、結局僕達個人で地道に捜索活動を展開するしか方法は無かった。
 奨は組織を使えないので地道に聞き込みをし、弘樹はパソコンを使って色々なところに聞き込みをしている。そして僕はというと、バイト先のバーで聞き込みをしている。色々な人が来るから結構情報を集めるには良いと思うんだけど。
「店長、こんばんは。」
「こんばんは。」
 準備中のプレートがカランと寂しい音を出す。店長はいつものカウンター席に腰を下ろしていた。
「稔彦の情報…ありましたか?」
 開店前だから人目も無いので、その場で上着を脱いでエプロンをつけた。髪はまだ整えない。
「あ、その事なんだけど……」
 店長は複雑な表情を浮かべてからカウンター内に入ろうとする僕を目で追った。その目に何か光るようなものが見える。…何かを決心したような色だ。
 僕はカウンター内に入るとボトルを確認し始めた。店長に背を向けるような形になると、ポツリと店長が言葉を漏らす。
「稔彦君の情報は無かったけど、彼に関する情報を手に入れてね。」
「本当ですか!?」
 勢いよく振り向くと店長が僕のリアクションに満足そうに笑っていた。恥ずかしくなって視線をちょっと俯けると、そんな僕の顔を覗き込むように店長が体を前屈させる。
「本当だよ。彼の弟が最近この付近に現れているらしくてね。どうにか今日、ここに来るようにお願いする事に成功したんだ。直接的に解決へ繋がるかどうかはわからないけど、少しでも情報が多い方がいいよね。」
「はいっ!ありがとうございます!!」
 でも、その前に。そう言って店長が突然ワイシャツのボタンを外し始めた。慌てて目を背けると店長がまた笑う。
「いつまでも隠し通せないだろうし…これを機会に教えるよ。俺の秘密。」
 視線を上げるように促されて、狼狽しながらもそっと視線を上に上げていく。露になった店長の上半身に視線を這わせると、そこには朱色と臙脂を組み合わせたような奥深い赤に彩られた鳥の刺青があった。
 肩甲骨の辺りから上腕、そして二の腕までをその鳥の鮮やかな色彩が占領している。その鳥は今にも羽ばたきそうな程鮮明で、目があった瞬間僕は息を飲んだ。その存在感に圧倒されてしまう。
「何やってたかわかったよね?」
「…はい。」
 小さく頷くと店長はワイシャツを再び身につけながらいつも通りの笑みを浮かべて僕を見た。
「このコネを使ったんだ。…そうでもしないと、情報も得られなかったしね。」
「でも大丈夫だったんですか?その…店長が危険になったりとか。」
 僕の言葉が意外だったのか、店長は僕をじっと凝視してからふっと小さく笑った。
「心配してくれてありがとう。大丈夫だよ、これでも微妙に偉い方だったから教えてくれって言えばみんな答えてくれたから。」
 …店長ってどんな人生を歩んできたんだろう?今まで考えた事も無かったけど、  そう思った時、カランと音がしてドアベルが鳴った。
「こんばんは〜。時間通り、だよな?」
 そう言って入ってきた青年に店長が満足そうに頷いて僕を見る。
「彼が稔彦君の弟、将彦君だよ。…仕込みは俺がやってるから、話してなさい。」
 僕の頭をくしゃくしゃと撫ぜると店長はカウンターに入って僕をカウンターの外へと押しやった。
「こんばんは。えっと、とりあえず座ろっか?」
 立ち話もなんだし、と付け加えると彼…将彦君は大きく頷いてカウンター席に腰掛けた。僕と同じかちょっと上くらいの身長に、細身の体。でも、肩幅からして結構鍛えてるんじゃないかな?って思う。でも表情はまだあどけなさが残っていた。
「将彦君…だよね?僕は輝って言うんだ。」
 とりあえず自己紹介から、と思って将彦君に不審がられない様に微笑みかけながらそう言うと、彼は大きく頷く。
「知ってるぜ。大学生で、稔彦と一緒に駅まで通ってるんだよな?」
「え?」
 唖然とする僕に気付かずに彼は言葉を重ねていく。
「稔彦ってさ、今まで色んな所を転々としてたんだけどこんなに長く住んでたのって初めてなんだよな〜。だから、一度輝さんと話してみたかったんだ。本当は奨さんや弘樹さんとも話してみたかったんだけど、やめておくようにって言われちゃって…。」
「ちょ、ちょっと待って。」
 何で将彦君は僕達の事を知ってるの!?驚きの表情を浮かべる僕に将彦君はにっと微笑んだ。
「稔彦達の事、俺ずっと見てたんだぜ。勿論プライヴェートな部分までは余り見ないようにしてたけど…」
「見てたって…隠しカメラとか?」
 僕の問いに今度は将彦君が呆気に取られたような表情を浮かべた。そして何かに納得したかのように大きく頷く。
「あぁ、そっか!まだ稔彦から何も聞いてないんだろ?そうじゃなきゃそんな質問しないもんな。」
「何もって、どういう事?」
「…やっぱり稔彦は何も教えてないんだな。」
 そう言って将彦君は立ち上がる。何も教えてくれないまま、僕の頭をまるで子供にやるようにくしゃくしゃと撫ぜて悪戯っぽく笑った。
「詳しくは稔彦から聞いてくれるか?俺が勝手に教えられない事なんだ。」
 まぁ教えてくれるかどうかは知らないけどな。と小さく口の中で呟くと店のドアに向かう。そんな彼の一連の動作を僕はただ見つめるだけしか出来なかった。
 稔彦に、秘密がある。
 人間誰しも人に知られたくない秘密を持ち合わせていると思う。そうわかっているのに、僕の心の中は大きく揺れていた。
「じゃ、お邪魔しました。……っと、輝さん。」
 名前を呼ばれてはっとして視線を彼に向ける。将彦君は何かしら決意のにじんだような顔をして僕を見ていた。
「多分稔彦は帰ってこない。…稔彦は、ここにいちゃいけない存在だから。」
「…どういう、事?」
 僕の問いに苦笑すると将彦君は頭を掻いて暫く沈黙した。どうやら言葉を選んでいるようでしきりに首を傾げては小さく唸っている。
「ん〜〜。詳しくは弘樹さんに聞いてくれないか?きっと輝さんが帰る頃には弘樹さんが情報を掴んでるから。」
「弘樹が?」
「そう。弘樹さんは予想以上に裏に通じてる人みたいだからね。」
 再び悪戯っぽい笑いを浮かべると将彦君は片手をブンブンと大げさに振って店を後にした。
 ドアベルがカランカランと軽快に音を立てる。音が静かな店内に響いた。
 結局僕は何もわからずじまいで、頭の中で疑問符が駆けずり回っている状態になっている。その上、脳味噌は稔彦が僕に何も教えてくれなかったという事も引きずっていて…。
 疑問符と悲しさが頭の中をぐちゃぐちゃにしていた。…何で教えてくれなかったんだろうとか、信用されてなかったのかな?とか、そんな事で頭が埋め尽くされる。
「…僕、何も教えてもらえなかった…」
「輝君。」
 優しい声音につられる様に顔を上げると、カウンターに凭れるようにして店長が僕を見つめていた。
「秘密は誰にでもあるものだよ。誰にも知られたくない秘密だって、沢山ある。」
「…でも、僕はそれを教えて欲しかったです。」
 小さく言葉を紡ぐと僕は下唇を噛み締めた。そんな僕を見て店長が苦笑交じりに手を伸ばして頭を撫ぜ、言葉を続ける。
「俺は稔彦君の気持ちがよくわかるよ。」
 すまなそうな表情をして店長が僕を見る。僕はというと店長の予想外の言葉に口を噤んだ。てっきり僕を励ますような言葉を掛けてくれると思っていたからだ。
「さっき、教えたよね?俺の秘密。…凄い不安だったんだよ?もし、その秘密を口にして嫌われたらどうしようって。」
「僕、そんな事で嫌いになりません!」
 ムキになって言い返す僕に店長が微笑んで頷く。
「わかってるよ。輝君はいい子だから、そんな事は無いって。でももしかしたらって思うと不安になる、そんな秘密……輝君は、その気持ちを一番理解しているんじゃないかな?」
 諭すようにゆっくりと言葉を紡ぐ店長。頭の中で店長の言葉を何回も反芻していると、少し前の僕が思い出された。
 誰にも言えない秘密があって、仲良くなった人がいてもそれだけは言えなくて、凄く後ろめたい気持ちでいっぱいだった日々。本当の事を言って嫌われるのが怖くって、ずっと隠し通してきた本当の自分。
 稔彦も、そんな状態だったのかな?
「わかった、かな?」
「……はい。」
 だとしたら、稔彦もきっと辛かったんだろう。本当の事を言いたくて、言えなくて。皆を裏切っているような後ろめたい気持ちと、皆に嫌われたくないという純粋な気持ちにはさまれて。
「僕、待ってみます。稔彦が自分から秘密を話してくれるまで。…それで、もし稔彦が良いって言ってくれるなら、また皆で暮らしたいです。」
 はっきりと返事をすると店長は満足そうに何度も頷いて、カウンターに凭れていた体を離す。
「さ、それじゃぁ仕事しようか。」
「はい!」
 店長が僕に秘密を教えてくれただけでも嬉しいのに、将彦君は僕が帰る頃には弘樹が情報を手に入れてるって言ってた。
「あ、店長。」
「はい?」
「僕、店長が秘密を教えてくれて嬉しかったです。…嫌いになんてなりません。」  もっと好きになりましたという言葉を飲み込んで仕込みを始めると、店長は一瞬呆然とした顔をしていたがすぐに口元を綻ばせた。
 弘樹がこれから握るその情報に、小さな望みを掛けながら僕は今日のバイトをこなす。久しぶりに元気を出した僕に店長も嬉しそうに仕事をこなしていった。









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