そう思った時に俺はアリスとの会話を思い出した。願いが見えないとそうアリスが口にする前に言ったセリフ。どうして人の頭の中を覗くのかという俺の問いへの答えの一つ。俺がこの世界を気に入ってない理由が気になって…だったはずだ。
もしかして俺がこの世界を気に入っていないからか?でもだからって、それがどうして願いを叶える事に繋がるのか。その発想の飛躍が俺にはよくわからない。
確かもう一つの答えは俺が何を考えているか知りたかった…という内容だったか。そっちはただ単に好奇心や興味からきたものと言ったものだろうが、その後にアリスは俺の事を、寂しそうな顔をしていると形容していた。
寂しそう…それも別に願いを叶える事とは大して繋がらなそうだ。とするとやはり俺がこの世界を毛嫌いしていたからか?
「私がこの世界を余り好いていない事が、関係しているのでしょうか?」
俺の言葉に社長は眉を上げる。意外だと言うようなその動きに俺は思わず怪訝そうな顔をした。
「まぁ、それが要因の一つではあるだろうな。」
やはりそうだったのか。頭の中を読むための一番最初に出てきた理由がそれなのだから、アリスの考えを陣取っているものである可能性は高い。
アリスの中でどういう紆余曲折があったかは知らないが、俺のその言動が何かしらの引き金になってしまったのだという事か。
この間の出来事が自分で蒔いた種だという結論に達しそうになるのを俺は制止する。例え俺がアリスの作ったこの現実に似た世界を嫌っていたとしても、それがどうして俺達の願いを叶えるという発想に繋がるのか。
「それにお前がアリス自体を余り好いていないのも原因の一つだろう。」
突然の言葉に俺は言葉を失った。そのアリスは今のアリスだけじゃなくて、今までのアリスすべてに対しての事の様に聞こえたのは俺の気のせいだろうか?
近くを走り抜ける子供がスーツを着ている俺達を興味深そうに見つめてから走り去っていく。そちらに視線をやる社長の横顔を俺は見つめていた。
「今の言葉はどういう事ですか?」
俺が、この世界に影響を及ぼすアリスという存在自体を好いていないと、そう言いたいのだろうか。
「そのままの意味だ。お前はアリスという存在自体を嫌っているだろう?」
確信に満ちたその目が、とても冷静に俺を見つめていた。俺がどんな返答をするのか楽しんでいるかのようにも見えるのは気のせいでは無いだろう。社長の中ではもうシナリオが出来上がっていて、この後俺がどのような行動に出るかも予測しているのだ。
「…そんな事は…」
ないとはっきり言おうとしたと言うのに、声が掠れる。顔を見据えてはっきりと言い切らなければきっと社長にはバレてしまう。いや、それとももうバレているのか。それもシナリオのうちなのだろうか。
そこまで考えて、ふと思う。何がバレるって言うんだ、俺は?
「無いと言い切れるか?」
こちらに視線を戻す社長。視線が真正面からぶつかってくるその強さに俺は怯んだ。社長は確信を持って俺に言葉を発していて、俺にはそれを否定する要素を何一つ持ち合わせていない。
「それは…」
歯切れの悪い言葉。いつもの会社ならそんな返答はよくないと一喝されるであろうそんな俺に社長は不機嫌そうに眉根をひそめるだけに留める。
「私は、アリスを…」
今までのアリスという存在にまで俺は敵意を向けていたと言うのか?敵意なんて向けてないはずだ。アリスという臨時の創造主の望むがままに形を変え性格を変えて、自分を演じる事こそが私の仕事なのだから。と、最近までの俺ならそう答える事が出来ただろう。当たり前のように胸を張って言えた筈だ。
だというのに、どうして今の俺はそれをできないんだ?
「…もう、わかっているはずだ。」
社長の言葉に俺は口を閉ざした。社長の言う通り、俺はもうわかっているのだ。そうじゃなかったら、社長の言葉にこんなに揺り動かされる訳がない。
「どうして私がアリスという存在を嫌っていると、そう思うんですか?」
秀逸な演技だとは言い切れない。でも精一杯キャラクターを演じていたというのに、それの中にわからぬように潜ませた拒絶を気付かれていたという事に俺は驚きを隠せなかった。
それでも本当の事は言いたくなかった。あえて肯定する事無く問いかければ社長は淡々と言葉を紡ぐ。
「嫌っていると、そう断言できるわけでは無い。ただ…アリスがこの世界の形を決める時、お前は毎回悲しそうな顔をする。」
悲しそうな顔?俺が?
驚いた表情を浮かべる俺に社長は小さく口角を上げて言葉を続けた。
「しかしそれはあくまで『悲しそう』でしかない。その奥に浮かぶお前の表情…」
社長が言葉をそこで止めてから小さく息を吐いた。自分が知らなかった表情の事を指摘されて驚いている時にこんな意味有り気な間を取られては、息を飲んでその後の言葉を待つしかできない。
その後に続く言葉が、自分すら気付いていない表情を晒すのだとわかっていても。
「それは『失望』だ。」
「しつ、ぼう…」
俺達をそのままの形で受け入れてくれたのは初代アリスだけだった。だけど俺はいつも新しいアリスが来るたびに心のどこかで願っていたのかもしれない。今度こそは、今度こそはと。
いつか、また彼女みたいに誰かが『そのままでもいい』と言ってくれる事を夢見ていたのかもしれない。
「失望の表情からお前はそれを振り払う様に一気に自分を入れ替えていき、完璧なキャラクターを演じる。だが、アリスの為に自分を演じるならばそこに失望など存在しないはずだ。」
俺は社長の観察眼を甘く見ていたのかもしれない。女王が国を束ねるものとして人を見る目が肥えているのは当然の事だが、まさかここまでとは思ってもいなかった。
「変貌を繰り返す世界の中、お前は世界毎に全く違う人間のように振舞っていた。最初はそれはアリスの為だと思っていたが…その失望の表情を見る限り、そうでは無いのだろう?」
それ以上言って欲しいかと問われ、俺は咄嗟に首を横に振る。これ以上俺を見て欲しくなかった。社長はきっと俺の中身をわかっている。その特別優れた観察眼は今も、まるでレントゲンのように俺の中身を映し出しているに違いない。
暫くの沈黙が辺りを包んだ。俺が首を横に振ってから社長は一言も言葉を発しようとしないし、俺自身言葉を発する事ができなかった。
隣に座る社長は真っ直ぐにそんな俺を見つめてくる。それはアリスの頭の中を見る能力なんかよりも鋭く俺の中を射抜いているのだろう。
何を言ってもすべて見透かされているのなら何を言っても無駄なのだと思った。いくら取り繕っても社長の前では、ハートの女王の前ではすべてが明るみに晒される。それはまるで裁判のようだと思った。俺の記憶も、愚かしい願いも、すべてが白日の下に晒されているのだ。ならば判決が下されるのかと、心の中でそんな考えに浸る自分をなじる。
俺は社長の言う通り、アリスを…現在のアリスだけじゃ無く、初代アリス以外のすべてのアリスに対してどこかしら拒絶をしていた。だから、『演じる』という表現をする事で自分自身を押し殺し、あくまでもこれはすべて演技だと言い張った。それは服従だったが、それと同時に絶対的な抵抗を示していた。
だが表面だけ見ればそれは従順な対応だっただろう。アリスの望むままに自分の性格すら変えて、違うキャラクターを演じていたのだから。
社長はそれを見切っていたのだ。自分ですら気付かなかった、僅かな表情をきっかけに。
「…私は、そんなに酷い顔をしていましたか?」
自分自身気付かなかっただけで、もしかしたらあからさまに気持ちを表情に出していたのかもしれない。だとすればそれはアリスに対して失礼な事だ。シロウサギとして、この世界を作る一員としてそれは許されがたい。
しかしそんな心配を他所に社長は小さく息をつきながら首を横に振った。
「いや、私も良く見なければ気付かなかったくらいだからな。私以外、お前の表情の変化に気付いている奴はいないだろう。」
社長ですら容易に気付く事ができなかった俺の表情の変化、ならば誰も気付いていない…と思ってふと俺は我に返る。
いや、一人いた。果たしてその時の表情を見たのかどうかはわからないが、俺を寂しそうだと形容した奴が。
「アリス…」
思わず口にしてしまった名。社長は突然のアリスの名にどうしたのかと訝しげに俺を見やる。
「彼が気付いていました。私が、寂しそうな顔をしていると…」
ゲームセンターで確かに彼は俺が寂しそうだと形容していた。あの、自分の考えに一直線で周りを気にもしないアリスが、気付いていた?
そんなにも俺はあからさまな表情をしていたのだろうか?しかし社長曰く俺の表情の変化は良く見なければ気付かない些細なものであった事に間違いない。だとしたら、どうして。
疑問が浮かぶ中、社長は納得したと言うように小さく声を上げた。
「アリスも気付いていたか。ならばすべて納得がいく。…願いを叶えると言い出した理由もな。」
「どういう事なんですか?アリスは一体何の為に願いを?」
問いかける俺を責めるような目で見てくる社長に俺は戸惑ってしまう。
「お前が考えろ。答えだけ用意されても自分で考えなければ意味がない。」
教える気は無いという事らしい。とはいっても俺には何がなんだかさっぱりわからない。
社長の中では俺の先程の言葉ですべてが一本の線上に繋がったのだろう。だが俺の中では未だにそれらは全部バラバラに置かれている。俺の表情、それを知っていたアリス、願いを叶える理由…。それらを一つに結ぶ要素は一体何処にあるんだ?
それに自分の望む為に他人の頭の中を覗く様な不躾な奴が、どうしてそんな些細な変化に気付いたんだろうか。頭を覗いたから気付いた、という事もあるだろうが、それだったら頭を覗く理由にはならないはずだ。という事はやはりアリスは俺の表情の変化に気付いていたのか?
別に毎日が凄く楽しいという訳では無いが、いつも寂しい感覚を抱いているわけでは無い。むしろ、悲しそうな顔をしているのはアリスの方じゃないか。
暫く考え込んだがやはり結論は出てこない。余計に頭の中にモヤモヤしたものが積もっていくのを感じていると社長が無言で自分の唇を指差した。それを見て俺は慌てて口元に持っていった手を下ろす。
「真剣に考えていたようだな。」
感心、というよりはからかいの方が絶対的に多い僅か笑ったような声に俺は恥ずかしくなってスラックスの膝の辺りをきゅっと握った。
「アリスが本当に私のその表情に気付いていたのか、わからなくなりました。むしろ私なんかよりアリスの方が寂しそうな表情をしている気がして仕方がありません。」
俺の言葉に社長は片方の眉を器用にあげてから感心したような声を出した。どうやら今回は本当に感心しているらしい。
「お前も気付いていたのか、意外だな。」
「意外…ですか。」
まるで周囲に気を配ってないみたいじゃないかと内心イライラしているとそれがわかったのか社長はヒラヒラと手を振ってそういう意味じゃ無い、と付け足した。
「アリスは無意識のうちだろうが、人に見られないような時にそういう顔をするからな。気付く方が珍しい。」
そう言われて果たしてそうだったろうかと記憶を探る。アリスが悲しそうな顔をしていたのは確か皆が話で盛り上がっていた時だった。一瞬だけのその表情。そのすぐ後にはカラカラといつも通りの笑いを浮かべていた。
確かにあの時皆はアリスのその表情に気付かなかった。すぐ近くにいて、じっと顔を見ていた訳では無いけれど、表情が変わればすぐに気付くだろう状況下だったにも関わらずだ。
普通、そんな事を無意識でできるだろうか?
「彼からは想像できませんね。周りの事なんて気にしていなそうです。」
そう悪態をつきながらも頭のどこかではそれが違うと理解していた。周りの事を気にしていない奴がそんな器用な真似できる訳がない。だとすれば、アリスはその様な部分に敏感なのか?そうだとすれば俺の表情に気付いたのも納得できる。
社長の観察眼とは違う、感情に敏感な部分が俺の表情をアリスに気付かせたのか。
「いや、アリスは周囲を気にしている。だからお前の微妙な変化にも気付いたんだろう。」
もし社長と同じくらいにアリスが敏感な感覚の持ち主なら、もしかしてアリスは俺がアリスと言う仕組み事態を嫌っている事に気付いていたのでは無いだろうか?それだけじゃない、俺が拒絶として自分を演じていた事すら見抜かれていたら?
でも、それに気付いていたらあんなに明るく振舞う事なんてできないだろう。まして俺の紅茶を飲んだり一々からかう様な言葉を言ってわざと関わるような事はしないはずだ。願いを聞こうとも思わないだろう。
やはり気付いていなかったのだ。そう思ってほぅと安堵の息をつき、一つの問題が片付いた事で若干すっきりしたのにつられて大きく伸びをした。
「一つ問いたい。」
突然の社長の声に俺は思いの他過敏に反応した。先程の続きを言われるのかと身構えていたから尚更だ。しかし何もかも見通していそうな社長が問い掛けを発するなんて珍しい。
俺が頷くのを確認してから社長は純粋な疑問を口にした。
「アリスの為でもないとしたら、お前は誰の為に自分を演じているんだ?」
その問い掛けに俺は一瞬頭が真っ白になった。何の為と言われても、理由なんてなかった。ただそれはこの世界を変えるアリスに対する拒絶で、理由なんて存在しない。
考えあぐねている俺のぼんやりとした視界ににあの晩のジャングルジムが入った。殆どそれと同時に俺にあの晩の言葉が甦る。
『俺はそう言うのよくわからねぇけど…お前はそう言ってこの世界に依存しているだけじゃねぇの?』
演じるのが仕事だと、この世界にあわせるのが自分の存在理由なのだと、そう言った時の事を思い出す。アリスが言ったその一言に、俺はあぁと小さく声を出した。
アリスが言っていたのはこれだったのか。
「そう言う事で、自分が演じる事を正当化したかったのかも知れません。」
自分が不思議の国の住人だからだと、それを言い訳にして自分の拒絶を正当化していた俺。アリスはそれに気付いていたからあんな事を言っていたんだ。
そう思えば辻褄が合う。てっきり俺はあの晩の事はアリスが俺の願いを探す為の話術の一部なのだと誤解していた。でも違っていたのだ。アリスは彼独特のその感覚で俺の拒絶を理解して、あえてそれを問いかけていた。
アリスは、気付いていたんだ。
「…私は、不思議の国の住人失格ですね。」
あぁ又、このセリフをここで言うとは思わなかった。
不思議の国に住んでいる事を理由にそれを逃げ道としていたなんて、不思議の国の住人としてやってはいけない事だというのに。
一気に落ち込む俺を社長はすべてを悟ったような理解したようなそんな目で見ている。ただ、その中に僅かな慈しみの光が見えた気がした。
「わかったのだろう?自分が誰の為に演じていたのか。」
優しい声でそう問われ、俺は無言で頷いた。俺は俺の為だけに自分を演じていたのだ。
社長が立ち上がる。はっきりと答えられない自分に機嫌を損ねたのかと思って慌てて立ち上がろうとすると、そんな俺を振り返り様に見据えた。その視線には苛立ちも軽蔑も存在しておらず、穏やかな笑みを浮かべている。
「お前も不器用な奴だな。」
「私、も…?」
その言葉とは裏腹に社長の顔つきは穏やかなものだった。その言葉の意を知る為に問い掛けようとした時、公園の植え込みの向こう側を派手なペイントで店名を記入された鍵屋の軽ワゴンが走ってきた。
「やっと来たか。」
話が途中で止まってしまったが、何故だか腰を折られたという気分にはならなかった。社長と話すべき内容はこれで終わりなのだとそう思う自分がいるからだ。
俺はもうわかっている。自分を演じる事で世界を拒絶していた事も、アリスという仕組み…というよりは、自分達をそのままの形で受け入れてくれなかったアリスを嫌っている事も。
でもわからない事はまだ残っている。どうしてアリスがそんな俺の願いをあんなに必死に叶えようとしているのだろうという事と、
その二つの項目が一つの線上に存在するその理由を解くのはアリス本人でなければ無理だろう。それを理解すれば、少しはこのモヤモヤもなくなるような、そんな気がする。


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