「えっと…何て言えばいいか…。」
視線は手元に向いたまま、困ったようにチェスマスターが声を上げる。今の状態からして、困ったような犬の耳がペコリと下へと下がり、テーブルの下にあるであろう尻尾もきっとダラリと垂れているに違いない。数度瞬きすれば本当にそれらが見えてくるんじゃないかというチェスマスターの消極ぶりを俺達は固唾を飲んで見守った。
「チシャには本当迷惑かけて、ごめん。勿論これから頑張るけど、多分きっと、また迷惑かけると思うんだ。」
余りに情けない言葉に思わず漏れる溜息。俺だけかと思って慌てるが、どうやら男性陣全員が同じように溜息をついて駄目だというように首を横に振っている。
「でもさ。」
急にはっきりとした声におやと思ってチェスマスターを見る。下を向いていたはずの顔は上がり、きちんとチシャ猫を見ていた。その視線は先程までのおどおどした雰囲気など微塵も感じさせない。その顔が先程の大人びた雰囲気を出して、大型犬のようないつものチェスマスターではなく、一人の男としてチシャ猫に対峙しているその姿に俺は僅か目を丸くした。
「好きになった人は一生かけてでも、絶対に幸せにするから。」
駄目か?と最後に付け足してヘラっと笑うその顔はいつも通りの大型犬で。言葉を探す事も無く、ただ自分の言葉を吐き出した雄姿は一体どこへ消えたのか。
でもチェスマスターの言葉は十分に伝わったようで、チシャ猫はいいですよと一言を返してあげた。そんな彼女の頬が僅か赤らんでいたのはきっと気のせいでは無いだろう。
「っかー!誰がプロポーズしろって言ったよ!」
耐えられないと言うように叫びを上げたのは帽子屋だった。背中がむずむずしやがると続けて叫ぶと肩を大きく動かしてその感触を吹き飛ばそうとしている。
その言葉にチェスマスターはぽかんとした顔をして俺達を見回した。
「え?今のってプロポォズなのか?」
自覚が無いらしいその言葉に再び俺達男性陣は大きな溜息をついた。と思ったが、若干一名そうじゃない奴がいた。三月ウサギがうっとりとした様子で胸の前に手を組んでキラキラと目を輝かせている。また乙女モードに入ってしまったらしく、いいですよねぇとしきりに呟いている様子からして、どうやらカッコイイ台詞の部分だけがリフレインしているのだろう、完璧に目が飛んでいた。
「詰めが甘いのはチェスマスターらしいな。」
仕方ないと言うようにそう言い放つと社長は再びやれやれと言うように首を振ってから興味を失くしたと言わんばかりに料理へと手を伸ばす。
それにつられるように俺達は料理を取り皿へと分け出した。そんな様子を見てチェスマスターがチシャ猫に泣きつく。
「何でみんな冷たいんだよー!俺、何か悪い事言ったのか?」
「わからないならいいですよ。」
チシャ猫の見捨てるような発言にチェスマスターの嘆きが酷くなるがまぁ放っておいていいだろう。チシャ猫はこんなオチも想定していたのかがっかりする様子が全く無い。と言うよりむしろ、そう言ってもらえただけで嬉しい、と言ったところか。
チェスマスターはそれに気付かずに必死にチシャ猫に縋っている。
「自然にあんな言葉を言えるなんて彼らしいですね。うちの人は滅多に言ってくれないから…」
突然の夫人の言葉に社長がむせた。気管に入りそうになったのか酷く咳き込んでいるのを見ながら、目を白黒させている社長の動揺に満足げに口元を笑みに象っている夫人につられる様にして俺も小さく笑った。
こんな風に社長が動揺する様子なんて滅多にお目にかかれない。
「それにしても、チシャもどうしてこんな男選んだんだか。」
自分の皿にスパゲティーをまるで粘土細工のように二十センチ程の高さでタワーのように積み上げて帽子屋がニヤニヤと笑いを浮かべながら、未だにぐずっているチェスマスターをチラと横目で見た。お世辞にも頼れる男とは言いがたいものがあるその姿に三月ウサギは漸く目が覚めたのかムッと唇を尖らせる。
「さっきまでカッコ良かったのに…カッコ悪いですぅ。」
取り皿に分けたサンドイッチに口をつけながら三月ウサギが呟く。
「酷い事言いすぎだっての!」
俺だって傷つくんだよ、と付け加えてチェスマスターが三月ウサギと帽子屋とを交互に睨みつけるが、残念ながらチシャに縋りついた体勢のままでは怖くもなんとも無い。
「仕方ないって、本当の事だしな。」
ニッと笑ってアリスが言えば、男性陣は全員がほぼ同時に頷いた。まるで図ったかのようなタイミングの良さに俺は内心感心した。勿論俺も頷いた中に含まれているが。
でもこのちょっとズレているような感じがチェスマスターらしさである訳で、これで突然男前なしっかり者になってしまってもこちらが戸惑ってしまう。
まぁそんな事は天地がひっくり返っても無いとは思うが…。
「仕事についてもヘタレは変わらねぇって事だ!諦めな。」
帽子屋が笑いながらチシャ猫に慰められているチェスマスターの頭をグシャグシャと手荒く撫でる。その手すらうっとうしいのかチェスマスターが手を振り払おうとするその瞬間、帽子屋がその掌に何かを握らせた。
「ん?何だこれ。」
「プレゼントだっての。ヘタレなお前でも少しは男前になれるように、な。」
チェスマスターが手を開いてその中にあるものを見る。その中にあったのは黒いゴツゴツとした石だった。小ぶりなそれは一体なんなのだろう。俺と同様に皆も興味津々と言った様子でチェスマスターの掌へと目をやる。
色々な角度からそれを観察していたチェスマスターがある角度を見た時に大きく声を上げた。
「凄ぇ!これ、何かの鉱石か?」
「オパールの原石だ。石言葉が無邪気だから、お前にピッタリだと思ってな。」
聞いた事のある名前に俺は知識をフル動員させた。確かオパールは宝石としても有名だが、加工が難しい石の一つでもあったはずだ。石の中に含まれる水分がオパールの輝きを出しているのだが、カットにより水分が蒸発してしまい、輝きがなくなることがあると聞く。
どうしてそんな手入れの大変なものを渡したのだろうか。
「この原石を磨くも曇らせるもお前次第だ。…頑張れよ。」
その一言で俺は何となく帽子屋の伝えたかった何かを感じたような気がした。チェスマスターに似ている石を彼に重ね、これからどうなるのかは自分次第なのだと、そう伝えたかったのだろう。
加工が難しい石を選んだのもその難しさを教える為なのかもしれない。
帽子屋の励ましの言葉にチェスマスターは照れたように笑ってから力強く頷いた。
「では、私からはこれを。」
夫人がそう言って立ち上がる。チェスマスターの席との距離が遠いからではあるが、国王自らを歩かせるなんてと慌ててチェスマスターが立ち上がる。しかし本日の主役なのだからと夫人はチェスマスターに座るよう促してから歩み寄った。
「気に入ってもらえると嬉しいのですが…」
手渡された包みをチェスマスターが開く。中には小さめの、薄い黄緑色をしたカットの美しい瓶が入っていた。
「香水です。チェスマスターさんに似合うような柑橘系のものを選んでみました。」
「ありがとう…ございます。えっと…嬉しいです。」
チェスマスターもたどたどしいながら思わず敬語を使ってしまうのは国王の人柄という物か。夫人はチェスマスターのその言葉ににっこりと微笑んで頑張ってくださいね、と言うと自分の席へと戻った。
「では次は私から。」
社長も同じように席を立ったのだが、夫人とは違って威圧感を感じてしまうのは何故だろうか?チェスマスターも俺と同じことを感じているらしく、無意識のうちなのだろうか体が強張っていた。
まぁ無理もないだろう。この世界に着てからという物チェスマスターはずっと社長に叱られ続けていたのだ。笑って流してはいたものの、相当堪えていたに違いない。
社長も硬直状態のチェスマスターに気付いたのか苦笑しながらプレゼントを手渡した。
「そんなに怯えるな。悪い事をしているみたいだ。」
「だって、怖ぇんだもん。」
チェスマスターの言葉にさも心外だとばかりに社長が肩をすくめ、それからプレゼントの包みを開けるように促した。
恐る恐る開かれたその包みの中には社長のセンスにしては珍しいスポーティーな腕時計が入っていた。きっとチェスマスターの趣味に合うような品を選んだのだろう。
「一人前の社会人に、時計は必需品だからな。」
一人前、と言う言葉にチェスマスターがぱっと顔を輝かせた。先程とは打って変わって社長に一人前として認められた嬉しさが顔に表れている。その笑顔に社長が現金な奴だと溜息交じりに呟くとほぼ同時、チェスマスターが社長へと飛びついた。
彼を引き剥がすのは容易だろうが、喜びの笑みを浮かべるその姿を見ると引き剥がす気も失せてしまうらしい。社長は半ば諦めた様子でチェスマスターが離れるのを待った。
感情が高ぶっているチェスマスターを宥めすかし、何とか話すのに成功した社長が疲れたというように大きく息をつく。そんな様子を見てケラケラと笑っていたアリスが大きく手をあげた。
「じゃあ次は俺からだな。」
ごそごそと鞄の中から取り出されたそれは包装されていなかったが、それを見た途端チェスマスターの目がキラリと光った。
「それってあの店の限定Tシャツ!?」
「やっぱわかったか!お前ならわかってくれると信じてたぜ!」
二人の間に俺達にはわからない何かが繋がっているのがわかった。どうやらチェスマスターとアリスの服の趣味は良く似ているらしい。思えば、アリスがいつも制服の学ランの下に着ているパーカーもチェスマスターの着ている服に良く似ていた。
というか、制服の下にパーカーというのはどうなのだろうか。
俺がそんな事を疑問視している間に、アリスはそのTシャツをチェスマスターに投げつけた。チェスマスターはそれを見事に受け取るとニッと満面の笑みを浮かべる。
「ありがとな。」
「いいって、気にすんな。」
次は俺の番だろうか。思いながら鞄の中から包みを取り出すと、キラキラと期待に満ちた目でこちらを見てくるチェスマスターと目が合った。まるでボールを投げてくれるのを待っている忠犬のようだが…果たしてこれを喜んでくれるだろうか。
ふと不安になったがここで退く訳にもいかず、席を立つとプレゼントの包みを持ってチェスマスターの傍へと歩く。プレゼントを渡すだけだと言うのに、何故か妙な緊張感が俺を包んでいた。
「プレゼントのボキャブラリーが少ないので、喜んでもらえるかどうかわからないのですが…」
随分と消極的な言葉だと思いながらも、それ以外に言う言葉が思いつかなかった。俺が恐る恐るそれを手渡すと俺の不安が伝わったのか、チェスマスターはそんな俺を安心させるようにニコりと微笑みかけてきてくれた。
チェスマスターが包みを開ける。そして箱の中から万年筆を取り出すとへぇ、と小さく声を出した。
「万年筆か…お前っぽい選択だな。ありがと。」
「それが似合うような味のある大人になれるといいんだがな。」
茶々を入れてきたのは帽子屋だ。確かにチェスマスターには大人という感じがない。むしろ子供に近い印象を抱くのは俺だけではないはずだ。それを当人も痛いほど自覚しているらしく、アウチと大きく叫んで頭を片手で押さえるような動作をするがすぐにいつも通りのヘラヘラとした笑いを浮かべた。
「大丈夫大丈夫。俺が使っているうちに、これが俺みたいになっていくからさ。」
「そうですね。持ち物は使う人によって表情を変えていきますから。」
そう言いながらも俺はチェスマスターのような雰囲気の万年筆が想像できずにいた。なにせ万年筆という物にはどうしても堅苦しいイメージがつきまとう。カジュアルな物を好んで選ぶ彼の手に渡り、この万年筆はどのように変化するのだろうか。
「まずは俺なりにカスタマイズだな。これシンプルだから改造のし甲斐がありそうだ。」
嬉々として万年筆を見つめるチェスマスターのその表情を見て、思わず俺の顔も綻んでいく。帽子屋の言っていた通り、お互いが嬉しい気持ちになるのが贈物なのだとその時俺は改めて実感した。
俺が席に戻ると皆があらかたプレゼントを渡し終えたのでまた団欒へと戻っていた。チシャからはきっと就職が決まったその日にでも貰ったのだろう。シンプルながらもどこか目を引くデザインのチョーカーがチェスマスターの首にかかっていた。
「プレゼントも渡したし、やる事は終わったな。後は思う存分飲み食いしてパァッと騒ごうぜ。」
帽子屋の言葉に俺達は思い思いに料理へと手を付け、他愛も無い話しに花を咲かせる。
「カッコつけすぎなんだよお前!いつもの駄犬っぷりは何処行ったんだ?ったく。」
早速というようにチェスマスターの傍に行って声をかけるアリスに思い当たらないと言うようにチェスマスターが首を傾げるのを見て、帽子屋がチェスマスターの頭をペチリと大げさに叩いた。
「自覚がねぇのが更に性質が悪ぃんだよ。」
「だって、わかんねぇんだもん。俺カッコつけた覚えないし。」
「仕方ないですよ。それが貴方らしいところですから。」
シュンとうなだれたチェスマスターに優しくチシャ猫が声をかける。その途端しょ気ていた筈のチェスマスターが満面の笑みを浮かべた。
「でも、たまにどうにかして欲しいとは思いますけどね。」
グサリと一言がチェスマスターの動きを止めた。愛しい人からの一言はまさに一撃必殺と言ったところか。しかしそれにしてもチェスマスターはチシャ猫の、褒めてから落とすという会話パターンをいつになったら把握するのだろう。
いつも通りのそんなやり取りの最中、俺はいつの間にか空になったグラスに気付いた。楽しいパーティーで気分が高まって知らずと飲み物を口にする回数が多かったらしい。新しく中身を注ごうとアイスティーの入ったボトルを探し、目の端に見つけたそれを見ようとしたその時に、俺は固まった。
和やかなムードの中、皆が楽しそうに談話をしている様子をアリスが見つめていた。ただそれだけだったら何気ない仕草の一つだろうと思って視線をすぐに流す事もできただろう。それができなかったのは、アリスの目が、寂しそうに僅か揺らいでいたからだ。
また、だ。
アリスは俺の視線に気付かないのかまだその表情のまま皆を見つめている。このざわめきの中、一人だけどこか遠くの場所にいるのではないかと思ってしまうくらいアリスは希薄だった。その証拠に誰一人として彼の表情の変化に気付かない。
まるでそれを振り切るかのようにアリスは小さく首を振るといつも通りの表情を貼り付けて声を上げた。さっきまでの表情が嘘のように明るく、いつもと同じ不遜な表情を浮かべながら。
「そういえばさ、」
「ん、どうした。」
チェスマスターがアリスの言葉に首を傾げる。質問だったらドンと来い、と言ってアリスの言葉の続きを待った。
「チェスマスターとチシャ猫は付き合ってる訳だけど、俺がいなくなって世界が変わった後はどうなるんだ?ほら、設定とか変わったら容易く合えるような関係じゃなくなるかもしれないんだろ。」
アリスの言葉にチェスマスターはフッと笑ってチシャ猫を見た。チシャ猫は席から離れてカウンターに並んでいるボトルから何を飲もうか選んでいる最中らしく、色々なボトルを見て回っている。
そんな彼女の後ろ姿を眺めながらチェスマスターは当たり前だと言うようにはっきりと言葉を口にした。
「この世界が変わっても俺達は共にあるよ。敵になっても、離れ離れになっても、形が変わっても、俺が俺である以上、チシャを好きな事に変わりは無いしさ。」
「そうですよ。私達も色々な世界の中を生きてきましたけれど、それでもこうしてずっと傍にいる訳ですし。」
夫人が幸せそうに頬を僅か赤らめながら言う。社長はと言うと紅茶のボトル片手にそれを零そうとうずうずとしている帽子屋を止めるのに必死でこちらの会話には気付いていないようだった。
もし社長が今の言葉を聞いていたらきっと先程よりももっと面白いリアクションが見れたに違いない。
「俺は惚気が聞きたかった訳じゃねぇんだけどなぁ。」
お熱い事で、と手をヒラヒラと振って付け足すアリスにチェスマスターは締まりの無い顔で笑い、夫人も口元を綻ばせた。勿論お互いに視線は自分の大切な人へと向いている。
その反応すら熱いのだが幸せそうな二人に水をさす気は無いらしく、アリスはそれ以上何も言わなかった。
そんな様子を見ていてふと気付いたのは、確かこの前、アリスが悲しそうな顔をしたあの時もその表情を浮かべた後にアリスはこの世界の事について触れるような発言をしていたという事だ。いつまでこの世界にいられるのだろうと言ったその発言は、内容こそ同じではないが、どちらもアリスがこの世界から出て行く事に関係している。
一体どうしてなのかと思いながらアリスを横目で見つめていると、そんな俺の思考を分断するかのように三月ウサギの大きな声が聞こえた。
「みっなさーん!僕からのチェスマスターさんへのプレゼントのケーキですっ、皆で食べましょう。」
「皆でって、チェスマスター用じゃないのかよ。」
両手で抱えるほどの大きなケーキを抱えてカウンターから出てきた三月ウサギにアリスがからかいの声をかける。チェスマスターは一抱えもあるケーキを見て首を横に振った。
「俺だけで食いきれる量じゃないし、皆で食おうぜ。作った奴もそう言ってるんだしさ。」
その言葉に皆が同意してその大きなケーキを皆で取り分けて食べる事になった。
俺は時折アリスをチラと横目で見ながら、このモヤモヤとした感情がどうすれば晴れるのだろうかと、そんな事をずっと考えていた。


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