8.
 あの後皆で他愛の無い話をして盛り上がっていたが、時間も時間という事でチェスマスターの就職記念パーティーはお開きになった。
 店の駐車場で社長と夫人、チェスマスターとチシャ猫を見送り、店に戻ろうとする帽子屋と三月ウサギへと声をかける。
「片付け、私も手伝いましょうか?」
「いいっていいって。片付けんのも仕事のうちだしよ。」
「そうですよぉ。それに僕もお片付けしますから、すぐに終わりますし。」
 ヒラヒラとあっちに行けというように手を振る帽子屋と、その隣でうんうんと頷く三月ウサギ。まぁ確かにあれだけの怪力を持つ三月ウサギがいるのなら百人、いや千人力と言っても過言では無いだろう。
 力になれないのは申し訳ないのだが、逆に何も知らない奴が入ってしまっては、皿やコップをしまう位置を間違えて逆に迷惑になってしまうのが目に見えていた。
「じゃ、気ぃつけて帰れよ。」
「おう、じゃあな。」
 アリスがヒラヒラと手を振ると帽子屋と三月ウサギは俺達へと手を振って店の中へと入っていった。早速片づけを始める姿が窓ガラスの向こうに見える。そんな様子をぼんやりと見つめながら俺はアリスの悲しそうな表情を思い出していた。
「おい、いつまで突っ立ってる気だ?帰らないのか?」
 いつまでもその場を動こうとしない俺の肩をアリスがトントンと叩いて、俺はふと我に帰った。勿論意識がここに戻っただけで疑問と表現すべきモヤモヤが俺の中に残っている。
 聞きたい事は沢山ある。アリスの表情の事、願いを叶えようとした事、そして俺がアリスという存在を拒絶していたのを知っていたのかどうかという事。
「…あの、お時間有りますか?お話したい事があるのですが。」
 俺の申し出にアリスは一瞬何を言っているのかわからないというような顔をしてから、すぐに頷いた。
「丁度良かった、俺も話したい事があるんだ。」
 チラリとアリスの目に浮かんだのは決意。見覚えのあるその光に俺はふとパーティーが始まる前のアリスの様子を思い出した。確か何かを言おうとしていたはずだったが、一体なんだったのか。
 内容がどうであれ、いつまでも駐車場で喋っていては迷惑だろう。まして帽子屋と三月ウサギに気付かれるのもばつが悪い。俺が場所を移動するのを提案するとアリスは同意を示し、俺達はその場所を後にした。
 道を歩いている間、妙な沈黙が俺達の間を支配する。
 俺とアリスはあれから無言のまま歩き続け、そして図らずもあの公園へと辿りついていた。これは何かの因縁なのでは無いだろうかと思う程の偶然に俺は内心頭を抱えながらあのベンチへと腰を下ろし、アリスも同様に腰を下ろしてジャングルジムを見上げていた。
 妙な沈黙だ。お互いに何か話したい事があったはずにも拘らず、全く口にしようとしない。きっとアリスも同じような事を考えているのだろうと思っていると、アリスが唐突に口を開いた。
「あのさ、」
 沈黙を打ち破るには随分と覇気の無い声だ。いつもの彼らしい不遜さは見る影も無い。ただの沈黙ではない雰囲気に押されたのかそれとも他の理由があるのか、どちらにしろアリスは二言目を躊躇ったまま口を僅か開いている。
「この間…悪かったな。」
 口をはくはくと酸素の薄い水の中にいる金魚のように動かしていたアリスが漸く搾り出すように言ったその言葉が一体何を指しているのか、そんな事は聞かなくてもわかった。
「何で謝るんです?貴方は何が悪かったかわかっていますか?」
 でもあえて聞いたのは、その謝罪が一体何に対してなのか俺は確認しておきたかったからだ。謝るだけだったら誰にだってできる。そして理由を理解していなかったらきっとアリスは同じ事を繰り返すだろう。
 俺の問い掛けにアリスはまるで叱られた仔犬のように視線をシュンと下へと下げてから口を開いた。
「お前の願いを知る為に初代アリスを使った事だ。大切な思い出を利用したから怒ったんだろ?」
「ご名答です。」
 俺の言葉にアリスは視線を未だに下げたままチラチラと何度かこちらを見てくる。
「特別な記憶だってのはお前の頭の中を見た時にわかってたんだ。だからそれを使えばお前の願いもわかるかもしれないと思って…それに、あんまり良く見て無いからプライバシーは守ったつもり、」
「言い訳はいりません。」
 取り付く島も無く切り捨てればアリスは視線を再び地面へと向ける。厳しいかもしれないが、もう起こってしまったものは取り返しがつかない。そんな事についていつまでもグダグダと放す必要性は感じなかった。
 あからさまに気落ちしているアリスの姿を見ながら俺は口を開く。アリスの謝罪は十分に伝わった。
「悪気は無かった、という事くらいわかってますよ。ただし、次はありませんからね。」
「許してくれんのか!?」
 ガバっと勢い良く跳ね上がった頭に驚きながらも頷けば、アリスはほっとしたように顔を僅か緩ませた。
「…サンキュ。」
 ばつが悪そうにそう小さく言ってアリスが笑う。年相応のその表情を微笑ましく見ながら、次は俺の番なのだと緊張していた。
 アリスが謝ってくれたのと同じで、俺もアリスに謝らなければいけない事がある。
「あの、」
 俺の緊張が伝わったのかアリスの顔がまた神妙なものへと変わった。それを確認してから俺は口を開く。
「この場所で話した事を覚えていますか?」
「あぁ、あの時はお前が酔っ払って大変だった。」
 ふっと思い出し笑いをするアリスに俺は溜息を一つついてから首を横に振った。小さく声を立てて楽しそうに笑うアリスが、わざと話を避けようとしたようにしか俺には見えない。
「あの時の私にはわかりませんでしたが…貴方は、私がアリスを…アリスと言う存在を嫌っていた事、拒絶として求められるキャラクターを演じていた事を知っていたのでしょう?」
 俺の問い掛けに小さく笑っていたアリスの肩がピタリと止まる。それが肯定の返事だった。
「だから私にあんな事を言ったんですね。私のやっている事が『依存だ』と。」
 アリスは笑顔を潜めて真剣な面持ちで俺の方へと視線を向ける。まるであの日と同じように、すべてを見透かすようなその目。ただ一つあの日と違うのは、その目に映された俺が一寸も揺るがずにそちらを見つめ返している事。
 暫く俺達は無言のままでいたが、その沈黙を壊したのはアリスの方だった。まるで悪戯が成功した時のようにとても嬉しそうに晴れやかな笑みを浮かべている。
「ご名答、って奴だな。あんたは世界に変えられた訳じゃ無い。自分からそうやって閉じこもってただけだ。」
 改めて言葉にされるとその重さに俺はグッと息を詰まらせる。世界の仕組みを盾に逃げ惑った自分自身を曝け出すという行為は余りにも辛い。しかしここで目を反らしてしまっては、意味が無い。逃げてしまってはまた同じ事を繰り返してしまうだけだ。
 俺は闇色の瞳を見据えたまま暫し呼吸すら忘れてその重圧に耐えた。そして、ゆっくりと頭を下げる。
「私は、貴方に失礼な事をしました。…すみませんでした。」
 頭を下げていると、後頭部にポンと温かなものが乗せられる。それがわしわしと髪を掻き乱すのに気付いて俺は慌てて顔を上げる。そこには口の端を吊り上げて笑うアリスがいて俺の頭をグシャグシャとそれはもう遠慮なく撫ぜている。
「あ、あの…」
 アリスに対し負い目がある俺は強く言う事も出来ずに戸惑いながらアリスの様子を窺う。
「俺は別に怒ってねぇよ。むしろ、自分で自分の非を認められたお前に感心してる。お前偉い。すげぇ偉い。」
 最後の方の言葉にからかいが含まれていたのは、この真剣な空気に飽きたのかそれとも他の何かなのか。とりあえず髪型が酷い事になっているであろう俺は体をよじって逃げると、軽く睨みつけて相手を牽制しながら髪型を手櫛で整えた。
 そんな俺を視界に入れながらアリスは言葉を続ける。
「それにお前って何だかんだ言って拒絶しきれてないだろ。もし本当に拒絶するなら関わんねぇ筈だ。それなのにあんたはいつも俺の傍にいる。俺にムキになって突っかかってくる。それは拒絶なんかじゃねぇよ。」
 まるで俺がアリスに執着しているようなそんな表現にムッとしながらも、俺は半分くらいは納得していた。もし本当に拒絶するならアリスに関わらないように振舞う事だってできたはずで。
 しかしこれだけは訂正しなくてはならないだろう。
「ムキになっているのは三歩譲って認めますが、私が貴方の傍にいるのではなく、貴方が勝手に付きまとっているだけです。」
 帽子屋の店に行ったり、ケーキ屋に行ったり、気が付けばアリスは常に俺達の輪の中にいた。特に俺と一緒に動いている事が多かったが、それはアリスが俺の近くに来ていたからでしかない。
「付きまとってるんじゃなくて、俺の活動範囲とお前の活動範囲が同じだけだっての。それに何だよ、三歩譲るってのは。」
「そのままの意味ですよ。私はそんなにムキになったりなんてしていません。」
 鼻息も荒く心外だと言えば、アリスはそんな俺にどこがだというような視線を無言で向けてくる。その視線が少し痛くて軽く睨み返すとアリスは小さく肩を震わせて笑い始めた。
「ほら、やっぱムキになってんじゃん。」
 揚げ足を取られて俺ははっとして口を噤むが時既に遅し。アリスはそれ見た事かと言わんばかりに胸を張ってこちらを見ている。これ以上何か反応しても言い返されてしまうのが目に見えていたので俺はそのままムッとした表情のままだんまりを決め込む。
「…それで、聞きたい事ってのは何なんだよ。」
 そんな俺に痺れを切らしたようにアリスがつっけんどんに俺を促す。確かに俺はアリスに聞きたいことがまだある。どうして願いを叶えようとしたのか、どうしてあんなにも焦っていたのか、どうしてあんな悲しそうな顔をするのか。
 それはずっと俺の中に蟠っていた疑問だった。しかし、俺は話があるとは言ったものの、聞きたい事があると言った訳ではない。
 もしかしてまた人の心を読んだのかと思ってアリスを見ると、その視線の意味に気付いたらしくアリスは慌てて首を横に振った。
「お、俺はお前の頭の中なんて読んでねぇよ。」
「では何でわかったんですか?」
 尚も疑いの目を向ける俺にアリスはさも面倒だと言わんばかりに大きく一つ溜息をついてから口を開く。
「お前は自覚がないんだろうけど、お前、帽子屋の店でずっと何か言いたそうに俺の方チラチラ見てたんだよ。しかも顔にでっかく『聞きたい事がある』って書いてありゃ…誰だって気付く。」
 そんなに顔や態度に出ていたのだろうか。そう思って頭をめぐらせるも余り覚えが無い。しかしアリスは俺の拒絶を見極めた観察眼の持ち主でもある。俺の何気ない動作からそれを読み取っていたとしても何の不思議も無い。
「で?一体何が聞きたんだよ。」
 早く済ませろと言外に付け加えられるも、いざ口にしようとすると怯んでしまう。暫くの躊躇いの後、俺はやっと口を開いた。
「どうして、願いを叶えようと思ったのですか?それは私が原因だったのですか?」
 この間、この公園で社長と話した時、社長は私がアリスを拒絶していたのがその理由の一端であると言っていた。しかし一体どうしてそうなったのかまでは教えてもらえなかったのだ。
 俺の質問にアリスは小さく唸ってから首を横に振った。
「原因とかじゃねぇけど…きっかけみたいなもんかな。」
 自分でもあまりわからないというように言葉を探りながら答える。まるで記憶を手繰るようにアリスは視線を宙へと彷徨わせながら言葉を続けた。
「俺の作った世界を、『現実と同じ形をしているなんて』って駄々捏ねてる奴が一匹いてな。俺の作った世界がさもつまんねぇみたいな浮かない表情で暮らしてるもんだから、そいつに現実世界も中々にいいもんだって思わせる為に願いを叶えてやろうと思った。それが始まりだな。」
 駄々を捏ねていた奴、を強調しながらアリスがちらりと俺の方を見る。勿論俺の事だとは気付いていたが、こうやって暗にほのめかされるのも気分が悪い。イライラしながら視線だけで先を促すとアリスはそんな俺の反応に、つまらなそうに唇を尖らせて仕方ないと言うように言葉を進めた。
「まぁとりあえず願いを知ろうと思ってこの公園で話をした。そしたらそいつ、願いが無かった。いや…願いとかそれ以前に、自分を自分で押し込めてたな。だからそれをちょっと遠まわしに教えたら全くわからなかったみたいで逆ギレしやがって。しかも挙句に酒飲んで酔っ払うわ、前後不覚に陥るわ…」
「きっかけというよりは完璧に『原因』ですね。」
 これ以上聞いてもアリスの愚痴が半分を占めるかもしれない。そう思った俺は願いを叶えようとした理由もわかったので半ば強制的に話を打ち切った。
 しかし本当に俺が原因でその様な事になっていたなんて、夢にも思わなかった。俺がこの世界を否定したのが原因だいう、社長の言葉は当たっていたのだ。
「…とはいえ、私は未だにこの世界が現実に似ている事に対して納得していませんが。」
 俺の言葉にアリスは驚いたような顔をして、すっとんきょうな声を上げた。
「はぁ!?あんだけ慣れといて今更何言ってんだよ。俺はてっきり納得したもんだと思ってたぞ。」
 慣れているのはまぁ認めてもいいだろう。何だかんだで数ヶ月も経っているのだから逆に慣れない方がオカシイのだから。だがしかし、慣れと理解もしくは和解は全く違う場所に位置している。
 つまり早い話が、俺はこの世界に慣れてはいても、まだこの世界については納得などしていないのだ。
「…お前って本当、この世界が現実に似せて作られてる事に結構執着してるよな。」
 苦々しく口にするアリス。どうやら彼は本気で俺がこの世界に慣れ、そしてこの世界が現実の形である事に理解もしくは和解を示したのだと思っていたらしい。
 その事に関しては、自分でもムキになっていると自覚している。何せアリスのその行動は不思議の国という物を根本から否定しているようなものなのだから。
「それは当たり前ですよ。ここは不思議の国なんですから、現実の世界に似せてしまっては不思議の国としての付加価値がなくなってしまうでしょう?」
 現実に酷似した世界が嫌いなのは、不思議の国という付加価値がなくなるのが怖いからだ。不思議の国としての魅力がなくなってしまえばアリスがすぐに飽いてしまうのは目に見えていた。だからこそ俺はこの世界が非現実的な不思議の国である事にこだわっている。
「付加価値なんて、そんなん関係ないと思うんだけどな。俺は別にここが不思議の国だから居ようって決めた訳じゃない。ただ、お前らが気に入ったからここにいるだけだ。そうじゃなかったらとっくの昔に逃げ出してるっての。」
 まるで野良猫みたいな奴だと、そう思ってからふとアリスの言葉がリフレインする。そしてそれが俺の中の何かと重なる。
 ぴったりではないけれど、確かにそれは同じ形だった。
「…もう一度、言っていただけますか?」
 都合のいい解釈。もしくはそうであれば良いと願った俺がとうとう頭の中まで麻痺してしまって言葉を正しく理解できなかった。そのどちらかだ。
 そう言い聞かせるのに頭は良い方向へと言葉を変換していく。
 あの時の、あの少女の笑顔が脳裏に甦る。
「だから、俺はお前達が気に入ったからここにいるんだよ。」
 あぁ。
 なんで、なんでお前は。
「おい、シロ?」
 ピタリと動きを止めた俺を不審そうにアリスが見てくるがそんなの俺には知った事ではない。今はただ、その言葉に浸っていたかった。










(c)Kyouzaki