2.
結局あの後…紅茶塗れになりながらも俺達は何とか帽子屋を捕獲する事に成功した。その頃にはもうスーツは紅茶塗れになっており、お世辞にも綺麗とは言いがたい状態となってしまったので会社に帰らず半日で家へと帰らされる羽目になった。
まぁそのおかげでこうやって今のんびりとしている訳だ。いつもより早めの夕食を摂り、まだ夕日の沈む時間帯から風呂に入ると何だか贅沢な気分がする。そして七時にもならないこの時間から酒をあおっている。あおるといっても下戸な俺はちびちびとアルコール度数の低い缶チューハイを飲む程度だ。開けて結構な時間が経っているのに、一向に減る様子を見せないのも、偏に俺が酒に弱いからだったりする。
今日はさして仕事も詰まっていなかったし、あのプレゼンさえ終わってしまえば後は特にやる事もなかったし、自分が居なくても支障なく仕事はこなされて行くだろう。
それに、例え仕事が山積みであったとしても、俺がそれをしなくてはならない訳ではない。どうせ俺が居なくても俺の代わりの誰かがその隙間に入って仕事をやってくれるのだろうから。
まさに俺は歯車なんだと実感する。俺が居なくても同じ仕事をこなす歯車があれば会社は成り立つのだから。
だとしたら俺という存在の価値は仕事をどれだけできるかというそれだけになってしまうのだろうか?…しかしそれを否定する事もできない。実際その通りなのだから。
アルコールが入ったせいで神経が過敏になっているのだろうか?いつも見ているはずのバラエティ番組がやけにうるさく聞こえてくる。俺はリモコンを掴むとすぐにTVを消した。
途端に包まれる静寂。それを拒むかのように時計の秒針の微かな音が部屋を震わせている。
こんな世界がアリスの望む世界なのか?一人一人の存在が孤立し、互いに繋がりを失った、こんな世界が。物も人も使い捨てになって、価値なんて失って、それでもそれが彼の望む世界だというのだろうか?…俺には、理解できない。
一瞬だけ、意識が遠のいた。睡魔に襲われて数分眠っていたのだろうと思って時計を見て俺は目を丸くする。
深夜二時。どうやら少しだけ寝ていたどころではないようだ。睡眠時間を指折り数えてみると、八時間。寝る前にいつも行っている習慣も忘れてぐっすり眠ってしまったせいか、二度寝する気にもなれない。
何をしようにも趣味など持ち合わせていない俺は、ぼんやりと時計の秒針が進むのを見つめていたがすぐに飽きてしまった。やる事も無くぼんやりしているのも嫌なので再び酒を飲もうかと思ったが、気の抜けたチューハイを飲むのも嫌だ。そう思って冷蔵庫を開けた。
しかしこういう時に限って欲しいものは無かったりするのだ。冷蔵庫の中にアルコールの類が見当たらない。アルコールを余り買わない生活をしていたのがいけなかったのか…。諦めて眠ってしまうのも選択肢にあるだろうが、頭が冴えているから眠りにつくのも一苦労だろう。仕方が無いから近くのコンビニでアルコールと何かつまみでも買って来る事にするか。
外に出るので部屋着から比較的マトモそうな服に着替えると財布と携帯をポケットに突っ込んで俺はマンションを出た。
深夜とあって車の行き来は昼間に比べると極端に少ない。それでも時折通る車のヘッドライトの眩しさに目を細めながら俺はコンビニへと歩き出した。
住んでいるマンションからコンビニまでは歩いて三分もかからない。散歩と言うには余りに近い距離を歩くと俺は目当てのコンビニの店内に入った。煌々と照らされた蛍光灯の眩しさに多少怯みながらも足を進めればすぐに視界が慣れてくる。酒の並べられたコーナーに行くと適当に見繕っていく。隣にあるつまみを選びながら、髄分とこの世界になれてしまったものだと自嘲した。
なんだかんだ言いながら、一番この世界に適応しているのは俺自身なのでは無いだろうか?文句を言いながらもその生活に甘んじて生きている俺が、一番この世界に固執しているのでは無いだろうか?
ふと我に返りそんな事あるはず無いと否定する。俺達がこの世界に依存するのは当然の事。俺が生きる世界は、例え形が変わろうともこの世界である事に他ならないんだから。
レジに並ぼうとしてふと飲み物の棚を見る。チシャ猫が言っていた明日のラッキーアイテムの缶コーヒーを手にする。一応日付は過ぎているし、チシャ猫の言葉には逆らわない方がいいだろうが…俺は余り珈琲は好きじゃ無い。
だが、いや、だけど…そんな事を考えていたが最終的にはそれを籠に入れてレジへ向かった。
「らっしゃませー」
いらっしゃいませが収縮されてしまったような変な言語を発しながら店員が会計を始める。代金を支払ってつり銭と商品を受け取り、レジから去る。
「あーしたー」
多分ありがとうございましただったんだろうな、などと彼らの発する不可解な言語を解読しながら店を出ようとした、その瞬間だった。
「「あ、」」
俺とアリスは同時に声を上げて動きを止めた。今から店に入ろうとするアリスと目があう。何でこんなタイミングで奴に会うんだ?
まさかこんな時間に会うとは思いもしなかった俺の思考は完璧に停止する。
「何やってんの?こんな時間に。」
それはこっちの台詞だと言う前に、腕を捕まれてそのまま店の外へと引きずり出される。
「お、おい。」
慌ててその腕を振り払おうとすると器用にビニル袋を取り上げてアリスが笑う。中はアルコールにつまみ…何とも寂しいチョイスだ。
「寂しい奴だな。一人で酒盛りかよ。」
「貴方には関係ありません。」
苛立ちを隠す事なくそう言うと俺はアリスの手にあったビニル袋をひったくった。
そんな俺の反応に面白そうに笑うアリスに俺の苛立ちは更に増す。
「あんたって紅茶派じゃなかったのか?缶コーヒー買うなんて珍しいな。」
俺が紅茶派なんて話しをこいつにした事があったろうかと考えたが、常日頃帽子屋の店で紅茶ばかり注文していたからわかったのだろう。
「チシャ猫の御神託にあったからですよ。」
俺の言葉にアリスは首を傾げて考えていたが、思い出したというようにあっと声を上げた。
「そう言えば。でも、だからってこんな時間に買いに来るなんて、あんたも酔狂だよな。」
「何となく目が覚めたもので。」
俺の答えにアリスはふーんと無関心に返事をして、ニヤリと企んだような笑みを浮かべた。
「なぁ、どうせ暇何だろ?」
何かを思いついたようにアリスが俺の肩を掴む。企んだような笑みは相変わらずのまま、俺の手にあるビニル袋に視線をやる。明らかに飲みたそうな表情をしているのに気付くと俺は釘を刺した。
「…未成年の飲酒を手伝う様な事はしませんよ。」
途端、アリスはムッと唇を尖らせて不満を訴えてくる。若干子供らしさの残るその仕草に俺は苦笑した。
「何笑ってるんだよ。」
「何でもありませんよ。」
何故笑っているかを説明したら、アリスは絶対に怒るであろうからこう言ったのだが、それくらいでアリスが退くとは思えなかった。
「何だよ教えろよ〜」
金髪ピアスの青年がサラリーマンに詰め寄る光景はある種何か注目を集める要素があったようだ。俺達を遠巻きに見ているコンビニ店員と客…もしかしなくとも俺達は悪目立ちしている。…まぁ、店の前でこんな言い合いしてれば怪しまれるのも当然だろう。
好奇と不審の目にさらされるのに耐えられなくなった俺はその視線から逃げ出すように駆け出していた。
「お、おいっ!」
アリスが叫ぶが知った事ではない。見世物になるなんてごめんだ。
暫く我武者羅に走り続けていたが、次第に息が辛くなってくる。もうここまで来れば十分だろうと思って足を止めた。
「この位でバテてるのかよ。」
「煩いな、俺はお前と違って…って、えぇっ!?」
何でアリスがここに!?
驚く俺に溜息を一つついてアリスが自分の右手を指差す。つられる様にしてその先を辿ると、俺の手がしっかりとアリスの右手を掴んでいた。そうか、俺が引っ張ってきてしまったのか。
「ま、俺も疲れたけどな。突然ダッシュはキツイっていうか。」
涼しい顔をして何を言っているんだか。全く疲れた様子を見せないアリスを俺は軽く睨みつける。
「それにしても、ここ何処なんだ?」
「…何処なんでしょうね。」
言われて気付いたが、周囲には見た事の無い住宅地が広がっていた。もしかして、これは迷子という物だろうか?闇雲に走っていたから道も覚えていない。という事はやはり迷子という事なのだろう。…まぁ、迷子という歳でもないが。
「お前、道知らないで走ってたのかよ!?」
俺の言葉にオーバーリアクションでアリスが溜息をついて、やれやれと言ったように天を仰いだ。そしてそのまま顔を真正面に戻して俺の方を見、不機嫌そうな表情を浮かべる。
「どうするんだよ。俺達迷子じゃん?」
どうするも何も、来た道を戻れば良いと言おうとして口を噤む。道を覚えていないのを思い出したからだ。
「と、とにかく、少し休みませんか?」
打開策を見出す事もできず、俺はその場しのぎの提案をした。アリスはそれがその場しのぎの提案だと気付いているようだったが、走った疲れもあったのか二つ返事で了解した。
しかし休むと言ってもこんな道端で座りこむ訳にもいかず、俺達は近くにあった公園の中にあるベンチに腰を下ろした。その後はずっと沈黙が続く。好き好んで話をしたいと思える相手ではないが、この沈黙はやけに痛い。何か話題を探すが何も見つからずに終わってしまった。
一人で悩んでいる俺の横顔を見つめながらアリスが口を開いた。
「それ、欲しいんだけど。」
指差されたのは俺の持っていたビニル袋だった。
「駄目です!未成年が飲酒してはいけないと決まっているのでしょう?」
それがルールなら従わなくてはならない。そう思っているとアリスは首を横に振った。
「違うって。俺が欲しいのは、缶コーヒー。それならいいだろ?」
あぁ、そういえば缶コーヒーも買っていたんだった。思い出すとビニル袋から缶コーヒーを取り出して手渡した。
「サンキュ。」
「いえ、珈琲は余り好きではありませんから。」
礼を言われてそう返すと、アリスは缶を空けて珈琲をあおった。ラッキーアイテムだと言われて買ったその缶コーヒーで一体何が良くなったと言うんだ?そう考えながら、俺はアリスの横顔を見た。
あの時間、あのコンビニに来なければこんな奴と一緒にこうしている事など無かったのに。そう考えて、ふと思いつく。缶コーヒーを買うか否かで俺は暫く戸惑っていた。
あの時間さえなければアリスに会わなくても済んだかもしれない。何がラッキーアイテムだ。これじゃむしろアンラッキーじゃないか。
心の中でその様なご神託をしたチシャ猫へ恨み言を連ねているとアリスがこちらを向いた。
「なぁ、お前はどう思っているんだ?」
真正面から顔を見据えられて少し怖気づきながら頭を巡らせる。一体何の話をしているのか全くわからない。
「何の話ですか?」
俺が問いかけるとアリスは俺から顔を逸らして街灯に照らされている公園の遊具を見つめながら口を開いた。
「この世界だよ。俺の作った、この世界。…お前はどう思うんだ?」
どうと言われても、俺の答えは決まっている。しかしそれを堂々と口にするほど俺は不躾ではない。しかしだからと言ってお世辞を言うほど気を使う事もない。どちらにも属さない俺は沈黙を保つしかできなかった。
アリスはそんな俺の考えがわかったのだろう。苦笑を浮かべながら俺を見つめ、俺の代わりに俺の本心を口にした。
「お前は嫌いなんだよな、この世界が。…まぁ、その割りには結構馴染んでるみたいだけど。」
からかうようなその言葉に、昼間社長が言っていた事を思い出した。
俺が、この世界に順応している?…そんな、まさか。現実世界に酷似している世界に順応しているなんて、不思議の国の住人としてあってはいけない。
「私は私に与えられた仕事をこなしているだけです。」
不思議の国を作るその一部として与えられた役を演じて生きている。ただそれだけなのだ。だから好きで適応しているわけではない。ただ、この世界以外に生きる場所が無いからこうやって自分を捻じ曲げてでも無理矢理生きているだけ。
「へぇ。お前の仕事って、何?」
アリスの口が上に吊り上げられる。まるで何かを企んでいるチシャ猫の笑みのように見えて俺の目を疑った。
「私の仕事は、この不思議の国を作る一部として存在する事です。」
それ以外、俺の生きるべき意味なんて無い。己を殺し、世界に自分を合わせなくては…そうしなければ。
「ふーん、理屈っぽいな。」


(c)Kyouzaki