納得したような、それでいてどこか納得しきっていないような、そんな感じの声を出しながらアリスは立ち上がり、軽く塗装のはげ始めたジャングルジムへと近付いていった。
「俺はそう言うのよくわからねぇけど…お前はそう言ってこの世界に依存しているだけじゃねぇの?」
「…なんですって?」
俺の言葉に答える事無くアリスはチラとこちらを向いた。その目がこの夜の闇よりも深く俺の動向を見つめてくる。まるで頭の中をすべて暴かれているような感覚に狼狽すると、そんな俺を鼻で笑ってジャングルジムへと手をかけて登り始める。
僅かに体が震えるのは先程の感覚と、そしてそれを知っても尚収まる事の無い苛立ちのせいだ。
「私が、私のやっている事が依存だと言うんですか?」
ガツンと、後ろから思い切り頭を殴られたようだ。そんな比喩がピッタリと当てはまるほど俺はショックを受けていた。
何故この世界に来て間も無い奴にその様な事を言われなくてはいけないんだ?まして俺達は好きでこんな事をしている訳じゃ無い。お前が望んだから、だから俺達は形を変えて、自分を殺して、それでも生きてるって言うのに。それなのに、どうしてお前が俺を否定するんだ?
お前の為に生き、お前の為に姿を変えた俺達の存在意義を完璧に否定されて黙っていられる程、俺はできた人間じゃ無い。
「貴方に何がわかると言うんですか?この世界に来たばかりの貴方に、何がわかると言うんですか!?」
怒りに任せて立ち上がると、アリスはジャングルジムの上で相変わらず笑みを浮かべて座り込んだ。常に自信に満ち溢れているハートの女王の様に猛々しく。
この世界を作っている我侭な王に見下されるその気分はなんとも言えず最悪なものだ。
「わからないからこそ、わかる事もあるっていう事だよ。」
一体何を言っているんだか。何もわからないと言うのに、それだからこそわかる事があるなんて。憤りを隠せない俺にアリスは器用にジャングルジムの上で立ち上がった。
「世界があんたを変えるんじゃない。あんたが世界を変えるんだ。」
両腕を広げてまるでパフォーマンスの如く彼は高々と声を上げる。その目に映るのは先程の闇でもなんでもない、希望の光だった。その嬉々とした表情に俺は暫し見とれていたが、所詮それは幼子の戯言に過ぎない。彼はこの世界を作り変える権利を思っている。その力を持っているからこそ、その様な『自分が世界を変える』という単語を発せられるんだ。
俺のような脇役、まして主役を引き立てる為、世界を構成する部品にそんな力がある訳が無い。
「その権利を持つのは貴方だけです。…私じゃ無い。」
そんな事くらい彼が一番理解しているはずだ。それだというのに彼は常勝無敗のチェスマスターの様に楽しそうに笑っているだけだ。
「あぁ、今のあんたにその力は無い。自分がこの世界の一部に過ぎないと思っているお前には…な。」
意味ありげにアリスが笑う。するとそのままジャングルジムから飛び降りて見事に着地を決めた。が、何故か着地の態勢から動こうとしない。一体何があったのかと怪訝な表情で見つめていると、アリスは小さくくぐもった声を上げた。
「…痛ってー!!」
子供用とは言えどジャングルジムの一番上から一気に飛び降りれば当たり前だろう。さっきまで頭に上っていた血が、一気に下がって平静になる。…なに、こんな子供相手に本気になっているんだか。
溜息混じりに歩み寄ってその腕を無理矢理掴んで立たせ、さっきまで座っていたベンチへと座らせる。
何となく目線が行ったその先には、ベンチの上でちょこんと座っている缶コーヒーの姿があった。
「ラッキーアイテムの筈が、とんだ災難でした。」
冗談半分、本気も半分で言葉を紡ぐとアリスはわざとムッとした表情を浮かべて目だけで笑う。
「俺としては中々良かったぜ?お前の地の口調も聞けたしな。」
言われて何の事かわからずに首をひねっているとアリスは、ほら、走り終わってすぐの時。と言葉を付け足した。その途端に俺の頭の中に一気に記憶が甦る。
アリスがいないと思ってつい敬語を忘れて呟いた言葉を、アリスに聞かれていたのだ。そうだとわかった途端に俺はベンチへとへたり込んで頭を抱え込んだ。何て失態だ。
そんな俺をアリスが戸惑った様子で見ている。
「何で凹んでるんだよ?」
「敬語を崩すなんて私のポリシーに反します。例えどんな相手であろうとも、この役をやる以上は敬語を崩したくなかったのに…」
役に徹しなければというそんなこだわりがあったのに、こんなミスをしてしまうなんて…しかも、主役であるアリスの前で。
もう駄目だ。絶望的だ。
「お、おい。大丈夫か?」
いつに無く気が滅入っている俺にアリスが慌て始めるが、大丈夫なんかじゃない。自分でも珍しいと思うくらいに気分が下降していく。
「私は…不思議の国の住民失格です。」
「え?えぇ!?」
一度沈んでしまえば、人の心など容易く沈没してしまうものだ。…特に俺は。
「ま、まぁ落ち着けよ。ほら、何か飲めって。」
咄嗟に渡された缶を開けると、悪い方へと向かっていく意識を止める様に一気に中身をあおった。喉がカァッと熱くなり、それが自分の買った缶チューハイだったと気付いた時には、大してアルコールの免疫もない俺はもうすっかり出来上がっていた。
目が据わっていると、鏡も見ていないのにすぐにわかった。頭はまともに働かないのに何か言葉を口にしたい衝動にかられる。そんな俺にアリスが怖気づくが、それが凄く小気味良い。
「もしかしなくても…酔ってるよな。」
恐る恐る尋ねてくるアリスに不敵な笑みを浮かべて大きく頷いた。その動きで世界が揺れてとても面白く、上機嫌は更に増していく。
「あのさ、せめて自力で帰れよ。」
「勿論ですよ。怪我人でもあるまいし。」
そう意気込んでベンチから立ち上がると眩暈が俺の平衡感覚を奪った。そしてそのままベンチへとへたり込む。
「あれ?」
酔っ払いとは自分の体に起きている症状に気付かないものだ。眩暈があろうが足が千鳥足だろうが関係ない。正常だと思えばすべてがオールグリーンになってしまうのだ。だからこの時の俺も今の自分に何が起こっているのか理解できていなかった。
単純に言えば、この時の俺は自分が酔っ払っていると気付かなかったのだ。
「何でですか…?」
上手く動けないのは酔いが回ったせいなのだが、それに気付かない俺は吸い寄せられるようにベンチに座り込んでしまった事に対して驚いていた。
何故か歪む視界。そして力の入らない足。
「ったく、これだから酔っ払いは困るんだよな。」
そうアリスが呟くとベンチから立ち上がった。その手には俺の渡した缶コーヒーがあり、もう片方の手には俺の飲み干した缶チューハイの空き缶が握られている。
「何処、行くんです?」
「何処も行かねぇよ。」
そう言っておきながらアリスはすたすたと離れてしまう。外灯の明かりの外、夜の闇の中へ消えていくその姿に俺は慌てて追いかけようとしたが、俺の体を回るアルコールのせいで指一本動かす事すら億劫に思えて仕方が無かった。
だからそのまま居なくなっていくアリスの姿を見続けるだけ。闇に解けて消えていく姿を見ながら俺はゆっくりと目を閉じた。心地よい眠りのリズム。呼吸の仕方が睡眠時に変わっていく。
あぁそうだ、寝る前にあれを…いつも通りのあの言葉を言わなくては。さっき寝た時には忘れてしまったからその分も言っておこう。
「おい、シロ。寝るな。」
違う。俺がいつも寝る前に言っていた言葉はそんな言葉じゃなくて、もっと違う言葉だった。毎日言えば、いつかきっと叶うんじゃないかって、そう願いながら呟いたいつものあの言葉。それはいつしか毎日の日課になって、俺の生活の一部になっていた。
「シロ。おい、シロ!」
ガクガクと頭を揺さぶられて俺は目を開ける。すると不機嫌そうなアリスが仁王立ちして俺の肩を掴んでいた。
「何ですか。何処も行かないって言って居なくなった癖に。」
不機嫌ならば俺も同じだ。俺を置いてどこかに行った挙句、眠たいのに眠らせてくれないなんて。ただでさえ目が据わっている俺に睨みつけられてアリスは一瞬だけ怯むような素振を見せたがすぐに形成を持ち直した。
「お前がダウンしてるから代わりにゴミ捨ててやったんだよ。そこら辺にゴミ置きっぱなしにすんのはよくないだろうが。」
酔いに思考回路のいくつかの経路を遮断されながらもアリスの言葉を数度頭の中で反芻する。どうやら俺の代わりにゴミを捨ててきてくれたらしいと結論に至ると、俺は大きく頭を縦に振った。
「そうですか。それはありがとうございます。」
「あぁ、褒め称えろ。」
たかがゴミを捨てた位で何を言っているんだかと思う前に反射的に俺の口が開く。
「ありがとうございます。流石です。」
まさか本当に言われるとは思わなかったアリスの顔が驚きにきょとんとしている。その中には何がどう流石なのかと言った突っ込みも混ざっているのだろう。
そして俺自身、何が流石なのか全くわかっていない。
「それではおやすみなさい。」
「ちょっと待て!」
そのまま眠りにつこうとした途端、肩を勢い良く掴まれて前後へと揺すられる。ただでさえ三半規管が麻痺していると言うのに、この男の仕打ちはかなり酷いものがある。
「ぅ…気持ち悪い…」
思わず何かが胃から込み上げてきそうになり、苦しみながら声を上げるとアリスの動きがピタリと止まった。そしておずおずと俺の顔を覗き込んでくる。
「吐くなよ?頼むから吐くな。」
懇願されて頷くものの、吐かないで居られる確証は無い。それを知ってか知らずか俺が頷いてもアリスの表情は冴えない。
全く打開される気配の無いこの状態に困ったような表情を浮かべていたアリスだったが、何かを思いついたのか突然パーカーのポケットから携帯を取り出してカチカチといじり始めた。
「アリス…?」
「ちょっと待ってろ。」
携帯のディスプレイのぼんやりとした光を浴びた横顔を見つめながら俺は再びうとうととし始める。そのまま睡魔に促されるように瞼を閉じようとした、その時だった。
「あー、大体この辺か…」
何か納得した様子で声を出すとアリスは携帯を閉じて俺の方を見、そのまま俺の肩を掴む。又先程のように頭をシェイクされるのかと思って身構えると、アリスは俺の腕を肩に掛けて立ち上がった。されるがままに立ち上がってふらふらとアリスにもたれかかる。
そんな状態の俺を半ば引きずるようにしてアリスが歩き始める。俺の体重もかかっている為その足取りは重い。
「何処に行くんですか?」
確かな足取りで歩いていくアリスに声をかけると彼は前を向いたまま口を開いた。
「とりあえずさっきのコンビニまで戻るぞ。そうすりゃあんたも家に帰れるだろ。」
「でも、道がわからないんですが…」
我武者羅に走ったものだから道順とかは全く覚えていないのだ。それはアリスも同じだろうと思っていたのだけれど…。そう思いながらズルズルと引きずられていく。
「お前さ、携帯で地図見れるって知ってるか?」
言われて数拍間を置いてから、俺はその言葉の意味を理解する。つまりアリスはさっき携帯をいじって現在地を確認したんだろう。だからこんなにしっかりと確信を持って歩めるんだ。
納得する答えを与えられて俺は大きく頷き、アリスの方へと体を凭れ掛けた。比重が多くなった途端にアリスが苦しそうに唸り声を上げるが俺の体は最早俺の意思通りに動いてくれなかった。
「うぅ…お前、重いんだよっ!」
そんな俺を悪態をつきながらも必死に俺を運んでくれるアリスに、若干ではあるが感謝の気持ちが芽生えた。アリスの選択肢の中には俺をさっきの公園に置いて行くという方法もあっただろうに、わざわざこんな足手纏いの酔っ払いを連れて行ってくれている。
「ったく。今度何か食い物奢らせるか。」
グダグダと愚痴を零しながらアリスが歩き続け、暫くすると見覚えのある道に出た。遠くに先程のコンビニの看板が見える。
「ここまで来れば、わかります。」
自分で歩き出そうとした瞬間、腕を強く引っ張られてアリスにもたれかかってしまう。一体何だと思ってアリスの顔を覗き込むと、そんな私を一瞥して小さく鼻で笑った。それにムッとして何がおかしいんですかと問い詰めようとしたその時、彼は前を向いて口を開いた。
「家、何処だ?」
何故俺は家の場所を聞かれているんだろう?都合よく解釈するならアリスは俺を家に送ってくれるつもりなんだろうが、果たして本当にそうだろうか?
「送ってやるから早く言えよ。俺の気が変わるぞ。帰るぞ。置いてくぞ。」
矢継ぎ早に言われて俺の頭が一気にパンク寸前まで追い詰められるが、何とか最初の言葉だけを抽出して返答を考える。
「そこのコンビニの交差点を、左に。真っ直ぐ行って、二つ目の交差点を左。」
漸く道順の説明を始めた俺にアリスは満足そうに頷くと一度歩くのを止めて俺の腕を抱えなおした。
「了解。家近いのか?近かったら鍵の準備しとけよ。」
そう言って再び歩き出すアリスの負担にならないようにと俺は少しでも多く自分の足を動かす。殆ど機能を成していない体に鞭を打って歩くのは辛いものがあるが、元々は自分の蒔いた種だ。
交差点を過ぎ、二つ目の交差点を行くとアリスの歩みが止まった。どうしたのかと思って顔を上げると俺の住んでいるマンションが目に入る。もうすぐ家に着くと思うと一気に安堵感に教われて体の力が抜けていくのがわかった。
「あのマンションか?」
答える気力も無く頷くと、アリスはわかったと小さく返事をしてマンションに向かって歩き出した。その間に俺は力を振り絞って自分のポケットの中を探す。カードキーを指先で手繰り寄せるとそれを掴んだ。
「…うわ…お前金持ちなんだな。」
感心したように呟いてオートロックのドアの前に立ち止まると、暗証番号を入力するキーボードの前に俺を引きずる。慣れた手つきながらもキーを打つ手はいつもよりも重いが何とか番号を入力した。
「部屋、何階だ?」
エレベーターホールにつくと上へ向かうボタンを押して問いかけられ、俺は首を横に振った。
「…もう大丈夫です。ここまで来れば、自力で帰れます。」
果たして部屋にたどり着けるかもわからない。良くて部屋のある階の廊下で行き倒れ位だろう。しかしながらこれ以上アリスに迷惑をかけるのも気が退けた。
だがそんな俺にアリスは首を横に振る。それと殆ど同じタイミングでエレベーターのドアが開いた。
「自力で帰れる訳ないだろ。こんな千鳥足で何が大丈夫なんだ?」
肩を貸してもらいながらも足は覚束ない。いや、足が覚束ないから肩を貸してもらっているのか。
一体どっちなのだろうと考えていると、再び引きずられてエレベーターに乗り込んでいた。アリスが無言で階のボタンの前に俺を移動させ、早く押すようにと目で促す。仕方なく俺は自分の住んでいる階のボタンを押す。
閉まる扉越しにエレベーターホールをぼんやりと見つめ、そのすぐ後に来る軽く上から押さえつけられるようなエレベーター独特の感覚に目を閉じた。
「おいシロ、何か落としたぞ。おい。」
アリスが声をかけてくるが、一度閉じてしまった目は開こうとしない。まるでストライキを起こしたかのように俺の意思を聞き入れてくれようとしないのだ。それどころか全身が重くなって、意識が遠のいていく。これは俗に言う睡魔と言う奴か。
半分眠っているような状態の俺に溜息を一つつくと、アリスが前屈した。きっとその落ちたものを拾ったのだろう。
「カードキー…?じゃ、これが部屋の番号か。」
声を夢うつつに聞いていて、ふと自分の手に持っていたカードキーがなくなっていた事に気付いた。どうやら俺の落としたものはカードキーだったらしい。気付かれなかったら今頃締め出されていたのだろう。
僅かな浮遊感と共にエレベーターが止まる。ドアが開く音を聞いていると体がゆっくりと運ばれていく。
それにしても自分がこんなに酒に弱いとは知らなかった。自分の手に持っていたものを落として、しかも気付かないなんて。体は重い、意識ははっきりしない、睡魔に襲われて前後不覚…どうしようもないな。
暫くの禁酒を決意した時、動きが止まった。ピッという電子音はカードキーで玄関を開けた音だろう。そう思っていると再び運ばれて、床に寝せられる。高さ的に玄関だろう。…このまま放置して帰るのかと思っていたら、足が涼しくなった。どうやら靴を脱がしてくれているらしい。
ごそごそと音がするのは何故だ?そう考えていると瞼越しに光を感じた。電気をつけたらしい。そして俺の脇を足音が通り抜け、その後にしきりに聞こえるドアの開閉音。その度に違う違うとアリスが呟いているが漸く目当ての部屋を見つけたのかドアの音がしなくなった。
一体何をしているんだと思って気力を振り絞って目を開けるとアリスが俺の寝室を覗き込んでいた。
「お、起きたか?」
「寝てません。目を閉じていただけです。」
どうだかな、と言われる。実際に意識は飛ばしていなかったし、正確には目を閉じてぼんやりしているだけだったというのに。まぁ足手纏いと言う部分では眠っていてもいなくても大して変わりはしないだろう。
「とりあえずベッドまで運んでやるよ。」
俺を起き上がらせるとアリスはまた器用に力の入らないこの体を支えて歩き始める。あの公園から俺を運ぶのは相当な労力だったのだろう、アリスは若干汗をかいていた。
「もういいです。大丈夫ですから。」
家の中なら放置されてもなんら問題ない。ここまで送ってもらっただけでもありがたいのだから、これ以上を望むのは贅沢という物だ。
しかしそんな俺の申し出を無視してアリスは俺を寝室まで引きずっていくと、乱暴にベッドへと投げ捨てた。ばねの無い安い作りのベッドに顔からダイビングするのは中々痛い。きちんとマットレスが敷いてなかったらこの衝撃で気絶し、朝までぐっすり眠れただろう。
「ふー…頑張った。」
アリスは無事に俺を運び終えて満足したのかいささかすっきりとした声でそう言った。
頑張るなら最後まできちんとやってくれといいたいのをぐっと堪えて俺は仰向けになる。見慣れた天井に安心すると同時に睡魔が再び顔を出してくる。完全に眠ってしまう前に御礼を言わなくてはと思い首をめぐらせてアリスを見た。
「ご迷惑をおかけしました。」
「あぁ、凄い迷惑。」
言いながらもアリスの顔が笑っているので冗談半分なのだろう。その事に安堵すると俺は大きく欠伸をした。
「眠いんだろ、寝ちまえよ。」
言われなくても寝るつもりだ。俺の睡魔はピークに達していて、こうやって目を開けてるのだって正直苦痛なんだから。
俺が目を閉じるとアリスが思い出したように口を開いた。
「おい、寝る前のあれ、忘れるんじゃないぞ。」
睡魔に侵された思考回路の向こう側でそう言われて、俺はいつも通りのあの言葉を言っていない事に気付いた。寝る前に言う言葉を、言わなくては。
そう思って口を開こうとした時、俺はハッとして目を開いた。
「どうしてそれを知ってるんです?」
この習慣の事を俺は誰にも言っていない。それなのにどうしてアリスはそれを知っているんだ?
俺の問い掛けにアリスは一瞬だけしまったという表情をしていたがすぐに不敵な笑みを浮かべ、俺の額に人差し指を当てる。
途端に今までとは比にならない程強い睡魔が俺を襲ってきて瞼が落ちてくる。
「ア…リス…」
狭まっていく視界の中にアリスの笑った口が見える。その口が言葉を象るように動いていくのを見ながら俺は睡魔に耐え切れず、寝る前のあの言葉を口にしながら眠りにつく。
その時の俺の口の動きとアリスの口の動きが似ていたのは気のせいだったか否か。泥の様な深い眠りに落ちていく俺にはわからなかった。


(c)Kyouzaki