「説明は面倒だから却下だ。来たらすぐにわかるぜ。」
 帽子屋がそう言った時だった。店の奥から一人の少年がこちらへ向かって歩いてくる。その手には美味しそうなチョコレートケーキの皿が三人分乗っていた。きっとあれが新作のケーキなのだろう。表面は光沢のあるチョコクリームでコーティングされ、上には飾りの粉砂糖が散らされている。シンプルだが品のあるデザインだ。
 ところで、ケーキを持ってきたその少年、どこかで見た事がある。顔つきや体つきは全く記憶に無いというのに、どこかであった気がしてならない。そう思ってじっと見ているとその少年は俺達の前に綺麗に飾り付けられたケーキを並べ、ペコリと頭を下げた。
「お久しぶりですね。僕の事覚えてますかぁ〜?この世界になってからすぐ、僕ってば外国にケーキの修行に出されちゃって…。こんなところで皆さんに会えるなんて感激です〜っ。」
「貴方、まさか…」
 その妙な語尾の延ばし方、妙なテンションの上がり具合…間違いなく、この少年は三月うさぎだ。アリスもそれに気付いたのかまじまじと三月うさぎを見て確認している。
「そうですっ、僕、三月うさぎです〜。今は何でしたっけ…?確か弥生恭徒(ヤヨイキョウト)って名前で、パティシエやってますっ。こうやって皆さんに僕の作ったケーキを食べてもらえるなんてもう幸せで幸せで〜。来ると言ってくれてれば他にも沢山作ったんですけど、今日は試食用のケーキしかなくって…」
 さすが常にイカレ帽子屋の傍にいた奴だけあってキャラが濃い。というより煩い。一度口を開けばマシンガンのようにずっと喋り続けるその習性は健在らしい。
「お前、はしゃぎすぎだぞ。」
 アリスが注意するが三月うさぎはノンストップで喋り続ける。その矛先が、俺の方から話しかけたアリスの方へと向けられた事に安堵していると、帽子屋がフォークを手に取った。随分静かだと思っていたが、どうやら真剣にケーキの外観をチェックしてたらしい。
 それに気付いた三月うさぎが口を噤む。先程までの明るい表情から一転して真剣な面持ちへと変化して帽子屋を見つめている。そんな三月うさぎの横顔を見ていたアリスもフォークを持ち、真剣な表情で一口頬張った。
 俺もつられるようにケーキにフォークを入れる。断面を見ると、薄めのココアのスポンジとチョコクリームが何層にも重なった仕上がりになっていた。
「いただきます。」
 一口頬張った瞬間に広がるチョコの香り。カカオの強いチョコを使っているのだろうか、甘すぎず、風味を程よく出している。チョコソースの中にオレンジの香りがし、一番下の若干厚めのスポンジには僅かにリキュールが染み込んでいた。オレンジリキュール独特の爽やかな香りがたまらない。
 一気に食べるのも勿体無く一口一口味わいながら食べていると、帽子屋がフォークを皿に置いた。見れば一口分しか体積の減っていないケーキが残っている。どうしたのかと思って見ていると、帽子屋はその皿を三月うさぎに差し出した。
「これを食べて、わかる事を述べてみろ。」  促されるまま三月うさぎがケーキを食べる。眉根を寄せて暫く思案していたが、ハッとした顔になって口を開いた。
「スポンジに染み込ませたリキュールの香りが飛びすぎています。」
 その回答は満足のいくものだったらしく、帽子屋は頷いて先を促す。一般人の俺とアリスは今のケーキに不具合な部分があったという事に驚いていた。
「あと、チョコレートの上の粉砂糖をかけすぎました。もう少し減らします。」
 帽子屋は再び無言で頷く。そして目で他に無いのかと先を促しているようだったが三月うさぎは頭を垂れて首を横に振った。
「すみません、わかりません。」
「チョコレートソースの中のオレンジが弱い。皮を入れてアクセントを出すように。あと、チョコの光沢が若干悪い。テンパリングはチョコレート菓子の基本だ、気を引き締めてやれ。あと、スポンジ自体の水分量が少し多いから調整しろ。…以上だ。」
 ずらずらとまるで用意されたセリフを告げるように帽子屋が話す。その一言一言に三月うさぎが何度も頷いていた。いつものあのおどけた雰囲気とは正反対の気を纏う帽子屋と三月うさぎの仕事に対する情熱という物に俺は圧倒されていた。
 俺もあんなふうに自分の仕事に対し情熱という物を持つべきなのかもしれないな。
「なんか格好いいな…ムカツク。」
 むっとした表情を浮かべながらアリスが呟いたのに気付いて、光っている人間を見て嫉妬したのか、まだまだ若いな。などと心の中で呟いて微笑ましいその光景を眺めながら最後の一口を頬張った、その時だった。
 ガラス張りの店内を覗き込むようにして立っている上背の高い男…その情けない顔に俺はふぅと溜息をついた。それに気付いたアリスが俺の視線の先を見る。
「…なんでチェスマスターがここにいるんだ?」
 今のチェスマスターにはシュンと垂れ下がっている犬の耳と尻尾が見えるな。
 もし最初から一人でウロウロしているならばそんな顔はしない。という事は…考えられる原因としては、この広いショッピングモールでチシャ猫とはぐれたのというのが一番妥当だろう。その顔はまさに迷い犬そのものだ。
「いつも一緒の飼い主の姿が見えねぇが…とうとう捨てられたか!あいつは甲斐性がねぇからなぁ。」
 カラカラと楽しそうに笑うその言葉の中にはからかいしか含まれていないが、今のチェスマスターが聞いたら真面目にその言葉を受け取って一気に絶望に転落して首を吊ってしまうかもしれない。ガラス越しで良かったと思っているとチェスマスターが店内に走り込んできた。
「聞いてくれよっ!チシャとはぐれちまって…」
「言わなくてもわかるって。とりあえず落ち着けっての。」
 チェスマスターに文字通り飛びつかれたアリスはそれを必死に引き剥がしながら説得を試みる。どうやらチェスマスターはかなりの錯乱状態に居るようだった。溺れる者は藁をも掴むという言葉がピッタリと当てはまる。
 窘められて、徐々にだがチェスマスターは落ち着きを取り戻していく。そして先程、ガラス越しに見た時のように意気消沈した様子で席へと腰掛けてテーブルへと突っ伏した。
 そんなチェスマスターの肩を励ますようにポンと叩いて満面の笑みを浮かべた三月うさぎが声をかける。
「はぐれちゃったんですか…でも、いつもみたいに突然現れてくれますよっ。絶〜対に大丈夫です!」
 何を根拠にと思うが、実際チシャ猫はいつも突然現れて突然消えるから今回もきっとそんなものだろう。一々反応する方が疲れてしまう。
 励まされて元気が出たのかチェスマスターは顔を上げて小さく何度か頷いた。そして勢いをつけて立ち上がる。その目にはさっきまでの戸惑いは微塵も感じられない。漸くいつも通りの調子を取り戻したらしく、ウィンドウの向こうを見つめてから俺達へと視線を向けた。
「一番チシャに会えそうな場所に行ってみるよ。」
 ニッと満面の笑みを浮かべてブンブンと大きく手を振るとチェスマスターは小走りに店から出て行く。相も変わらず忙しない奴だが、あいつらしい。
 それにしても、一番チシャ猫に会えそうな場所とは一体何処なんだ?掴み所の無いチシャ猫の考えを推し量る事なんて、似たような価値観を持っている帽子屋だって難しいだろうに…。全く正反対の場所に居るチェスマスターが彼女の考えや行動を果たして理解できるのだろうか?
「じゃあ俺もそろそろ行くか。おい、エプロン貸せ。俺が直々に教えてやらぁ。」
 帽子屋が立ち上がりながらそう言うと三月うさぎが驚いたように目を丸くした。
「え?え?いいんですかっ!?」
「二度は言わねぇぞ。気が変わる前にとっとと中に案内しろよ。」
 不遜な帽子屋の物言いだが三月うさぎにとってはとても嬉しい事なのだろう。驚きの表情からふにゃりと顔を緩めて嬉しそうに笑うと、真剣な顔つきになって店の奥を示す。
 くるくると表情の変わる三月うさぎを見てフッと顔を緩ませる帽子屋。そのすぐ後には職人独特の凛とした雰囲気を纏っている。
「じゃあな、お代はいらねぇぜ。」
 後ろ手に手を振りながら帽子屋が去っていく。三月うさぎは元気に頭を下げると厨房へと向かう帽子屋の後を追っていく。その姿を見ているとアリスが小さく呟いた。
「あいつら、良く似てるな。」
「そうですね。」
 子供のように表情豊かで、笑ったかと思えばすぐに違う表情を見せる。この世界に来ても尚、あの師弟の関係は何一つ変わっていない…否、むしろ更に深くなったんじゃないだろうか。
 世界が変わって早々に外国に修行に出したのも三月うさぎの力を見込んでの事だろうし、彼自身それが帽子屋なりの愛情の掛け方だと理解しているのだろう。お互いにお互いの職人としての腕を信じているから出来る事だ。
 ウィンドウの向こうを流れる人の波を暫く見ていたアリスは、腕時計をチラと見て椅子から立ち上がった。その時に俺の腕を掴むものだから突然の事に対処できずに危うく転びそうになる。
「どうせ暇だろ?買い物付き合えよ。」
 頭から決め付けられて腹が立つが実際その通りなので言い返す事もできない。忙しいのだと言えば良かったのだが咄嗟過ぎてそんな風に考える事すらできなかった。
 沈黙を肯定と受け取ったのかアリスは俺の腕を放すとさっさと先を歩いていく。その後を急いで追いかけて店を出ると、アリスは店内案内図を見ていた。
「結構色んな店があるんだな。」
 感心したように言うアリスの斜め後ろに立つと同じように案内図を見る。なるほど、これは迷っても仕方が無いほど広いな。
 店名を見ながらあれこれ考えるアリスに一言釘を刺す。
「荷物持ちはしませんからね。」
 チッ、と小さく舌打ちが聞こえたのは気のせいだという事にしておこうか。そうでもしないと俺は今すぐアリスの頭を掴んで思い切り案内図の看板へと叩きつけてしまいそうだ。
 というか、人を勝手に連れ出して荷物持ちにさせようなど、不躾にも程がある。元々あの洋菓子店に行くのが俺のした約束で、一緒に買い物をするとか、まして荷物持ちをするなんて宣言をした覚えなんて無い。
「ま、いいけどさ。今日は三万しか持ってないし。」
 果たして三万円という金額は、しか、という表現に相応しい金額なのだろうか?俺はそうは思えないのだが…人の考えはそれぞれなのだろう。
「適当に見てこうぜ。」
 そう言って意気揚々と歩いていくアリスを放っておいて一人帰ってしまおうと思ったが、それができないのが正直者の辛いところか。
 溜息を一つつくと俺はその後ろを重い足を引きずりながら歩くのだった。


 四階にある休憩用のエリアで、俺は椅子に座ってテーブルへと突っ伏していた。そんな俺の方に向かって歩いてくるアリス。その手には自販機の紙コップが二つあり、突っ伏したままの俺の隣へと置かれる。
「大丈夫か?」
 そう聞くならば早々と俺を解放してくれれば良かったのに。こんな広い建物の中を引きずり回された俺は小さく息をついて紙コップへと手を伸ばし、随分と騒がしい周囲を見回す。
 休憩所のすぐ隣はゲームセンターになっている。機械毎に違う大きな音が混ざり合って、最早それは騒音にしかなっていない。チェスマスターは毎日のようにゲームセンターに行っていると言うが、こんな煩い所にいて精神的に参ってしまわないのだろうか。
 アイスティーを飲んでいるとアリスはコーヒー片手にゲームセンターのあたりを見ていた。
「あ、チェスマスターじゃん、あれ。」
 指を指した方、人ごみより若干飛び出ている頭に俺は頷く。大柄な彼は人ごみの中でも見つけやすく、その上彼の周りには人だかりができていた。
 小さな紙コップの中身はすぐに空になってしまった。アリスもそうらしく、空になった俺の紙コップに気付くとそれを取って近くのゴミ箱に投げ捨てた。見事に入ったそれに満足そうに笑うとアリスが人だかりを指差す。
「行ってみようぜ。アイツの腕前気になるだろ?」
 ワクワクとした様子で向こうを見ているアリスに俺は立ち上がる。嫌だと言ってもきっとアリスの耳には届かないだろう。それに…俺も、チェスマスターの腕前がこの世界でも通じるのか否か、実際にこの目で確かめてみたいのだ。
 人だかりに近寄ると、時折ゲームの効果音に紛れておぉ〜とか、スゲェ、などの感嘆の声が聞こえてくる。チェスマスターがやっているのはドラムを模したゲームだった。どうやら画面上を流れてくる色と同じ場所を叩くらしいのだが…何だ、この量は。
 目で追うのすら精一杯な程膨大な色の洪水をチェスマスターは難なくクリアしていく。その曲が終わるとゲームが終わったらしく、チェスマスターが立ち上がった。
 そして次のゲーム機を探しているらしく色々と視線を彷徨わせて周りを見ていたその時、俺と目があった。
「あれ?どうしたんだ二人して。」
 ゲーム画面を見ていた真剣な顔つきから一転、一気に顔がふやんと緩んで俺達に文字通り飛びついてくる。人懐こい大型犬と言っても過言じゃ無いチェスマスターをスッとかわした。
「お前が見えたから来てみたんだよ。中々凄いじゃん。」
 ニッと笑うアリスにチェスマスターは胸を張って大きく頷いた。
「当ったり前だろ!俺は天下無敵のチェスマスタァだぜ!」
 なるほど、確かにその通りだが…チシャ猫に頭が上がらないのは天下無敵に含まれないんだろうか?ふと疑問に思ったがあえて口には出さなかった。
 そんな事を考えているうちにも二人は話しに花を咲かせて一緒にゲームをする事になったらしく、二人用の銃のコントローラーのあるゲーム機へと向かっていた。
 早速硬貨を投入し、銃を構える二人。どうやらモンスターを退治するゲームらしい。モチーフになっているのはバンパイアらしく、モーションも中々洗練されて綺麗なものだ。関心しながら見ていたその時、アリスが銃型のコントローラーを俺に手渡した。
「え?」
 咄嗟にそれを受け取ると、アリスがニヤっと笑って画面を指差す。画面を見ると既にゲームが始まっており、モンスターが襲い掛かっていた。それを見て反射的にトリガーを引いてモンスターの眉間に二発打ち込むと、敵が倒れたのを確認してから文句を言おうとアリスに視線をやる。
「突然なんですか?」
「お前、射撃上手いだろ?…ほら、画面から目離すなよ。」
 確かに先々代のアリスの時に俺は銃撃を担当していた。近未来で国土を広げていくものだったから実質実弾での戦いで、銃は上手い方だったが…。
 どうやらアリスは俺にこのゲームをやらせたいらしい。抵抗するのも面倒で画面に目を向けると、自分の操っているキャラクターがその間に攻撃を受けていたらしく、体力のゲージが半分まで減っていた。
 慌ててキャラクターを取り巻くモンスター達を撃っていく。
「まったく…アリスに余計な知識を与えないで下さい。」
 どうせチェスマスターが入れ知恵したのだろうと思ってそう声をかけると、間の抜けた声が返って来た。
「へ?俺、何も言ってないけど…?」
 その言葉に俺は首をひねる。どうしてこの銃を使うゲームをする事になったのかはわからないが、俺が銃を扱うのが得意だと知ってアリスが提案したのは間違いないだろう。先程のニヤついた笑いは完璧に何かを企んだような、そんな表情だった。
 俺自身、その事をアリスに教えた事は無い。それなのにアリスはそれを知って俺にゲームを進めてきた。…そこまで考えて、ふとこのような事が前にもあったという事に気付いた。
 今から三日前、俺がアリスに家まで運ばれたあの日。俺が寝る前にいつも同じ言葉を呟いている事をアリスは知っていた。そんな事一度も話した事がないというのに。
 疑問が渦を巻いて俺の頭の中を支配していく。それを吹き飛ばすように俺は銃を軽く振って銃弾を詰め替えると動きの遅い西洋の甲冑姿をしたモンスターの足の関節へと確実に決めていく。足をやられて怯んだ隙に、チェスマスターがモンスターのど真ん中を威力の強い銃で打ち抜いた。
「上手いもんだな。一発も外して無いじゃん。」
 軽口で俺をはやし立てるアリス。いつもだったらそんな言葉に苛立ちを募らせていたはずだが、今は何も感じられない。ただ一つ感じるものは、疑問。
 こいつは、一体何なんだ?一体何を何処まで知っているんだ?
 疑問に向けられた意識も、目の前で繰り広げられるゲームの大きな音と鮮明な映像の方へと自然に戻っていく。こうやって次々と敵を倒しているのを見ると、まるで先々代のアリスの時代に戻ったのでは無いかという錯覚すら覚えてしまう。
 勿論あの時の世界の設定は近未来だったからこのようなモンスター相手の戦いではなく、相手はすべてロボットで、人間が生きる為の住処を暴走した機械達から取り戻すという中々に壮大な設定だった。
 今のような面白みも何も無い現実世界とは似ても似つかない世界だ。
「あー…喉渇いた。」
 中ボスに差し掛かった時、チェスマスターが小さく声を上げた。ゲーム画面から一時的にムービーへと変わり、中ボスが姿を現して俺達が操るキャラクターと話をしている間に突然チェスマスターが隣から消える。慌てて視線で追うと銃のコントローラーをアリスに渡して俺達に手を振った。
「ちょっとジュース買ってくる。」  それまで頑張れよ、と付け足すと意気揚々とその背が遠のく。俺は溜息混じりに画面に視線を向けた。画面ではまだ中ボスと主人公が会話をしていた。そんな暇があるなら銃弾を早く撃ち込めばいいのに。
「だったら撃てばいいだろ?」
 突然のアリスの言葉に俺は目を見開いた。まるで俺の頭の中の言葉に答えたような…否、これは最早ような、という言葉で解決できるような事ではない。アリスは俺の頭の中の言葉に返答をしたのだ。
 銃を画面に構えたまま俺達は暫し無言だったが、それを先に壊したのはアリスの小さな笑い声だった。
「っはは…本当、お前楽しいよ。」
 何で笑っているのか、直感的に俺は悟っていた。アリスは俺の中にある疑問とそれに対して戸惑いを抱いている俺に気付いて笑っているのだ。そうだと断言できる確証なんて何処にもありはしない。強いて言うなら暗くなった画面に反射で映り込んでいるアリスの目が俺を射る様に見ていた事、それが俺に確証を抱かせた。
「貴方は…私の頭の中を読んでいるんですか?」










(c)Kyouzaki