例えば、俺が、人を殺したとして。


その時に俺が読んでいた本とか、俺が書いた文とか、そーゆーのが TVに取り上げられる。
『こう言うのを彼は好んでいて』
から始まるTVの虚言は留まることを知らずに垂れ流される。
『こう言う趣味からも、彼の狂気は窺える。』
そう言って、俺の読んでいた本とか、俺が書いた文とか、そーゆーのが 否定されていくんだ。
『 解らない。考える事が出来ない。信じられない。浮世離れした。 』
中傷はそれくらいにしてくれ。
『彼の狂気が…』
狂気?何が狂気だって言うんだよ。
普通ってなんですか?俺が関わっていれば、全部おかしいんですか?
『理解できない』
できないんじゃなくて、したくないんだろう?
『信じられらない』
信じたく無いんだろう?
『こう言うものが、彼女の精神を……』
言いたいことはそれだけか?

そういう文とか、読んだものとか、ゲームとか、俺が関わったもの全てが 否定されるってのが許せない。
最終的に、そうなったのは自分の意思であって、ソレを作り出したのが文とか読んだものとか、ゲームとか俺が関わってきた物であるかもしれないけれど、根本にある自分自身が決断する訳だ。
それなのに、どうして全てを否定するんだよ!?

それが、社会なんだろう?普通じゃない、解りかねます。
いつまでもそう言ってろよ。そうすれば、きっと 俺が人を殺してしまったように、 沢山の奴らがそうなるんだ。

悪い所もあるけど、いいところもある。
ちゃんと見てやれよ。
そこまで皆強いわけじゃないし、
人間だから弱い所だってあるんだから。

否定されてばっかじゃ、反抗したくなるだろうが。
否定されつづければ、自分要らないのかな?って思っちまうだろう?
それすらわからないのか?
わからないだろうな。

『彼は、このように書いていました。』
『優等生だと言われていた彼女が変わったのは、ソレをみてから……』
結局さ、TVやマスコミに左右されちまうから。本当の事なんて、誰も見てくれないから。


『私達は真実を伝えていきます。』
どうやって?
マスコミやTVが通った時点で、それは真実になるけどね。
多数決の結果がTVだと、皆が思っているから。
多数決に乗っかっていないと安心しないから。
多数決にはみ出た人はとことんまで否定しまくる社会になってしまったから。

個性は大切になんて、思ってないくせに。

俺がもしも人を殺したとしたら、誰かきっとこの文を見てくれるんだろう。
でも、その時にはもうこの文は今私が書いている文とは違って
狂気の一部として表示されて
狂気の発端として表示されて
本当の事を知る事は出来ないんだろう。








(c)Kyouzaki